子供に学ぶ

「剣道場床工事 武床工舎」のサイトより引用

https://noka-tsubasa.wixsite.com/bushoukousha/blog/%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%AB%E5%AD%A6%E3%81%B6?fbclid=IwAR2ILptm6nYA-ncPHxFTAeQmtlwVsmN3q5TGZwNszxEdX_M1cCIIaJfQRJ0

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子供に学ぶ

佐藤先生の言葉

私は30歳過ぎまで、剣道浪人していた。転機があって、まさかの教員採用となった。恩師・佐藤博信先生に、報告に行った。「先生、これから田舎で教員します。東京の立派な先生方に学ぶ機会が無くなりますが、どのように稽古して行ったらよいでしょうか」先生は「それなら、これからは子供に学びなさい。子供に学ぶことが出来るようになれば、腕は上がっていく。立派な先生方は、みんな子供に学んでいるんだよ」

子供に学ぶ?・・何が、何だか分からないまま、数年が過ぎた。田舎の大人稽古は、筋がめちゃくちゃだった。当てること、勝つことしか考えない。朱に交わって、自分の剣道が染まっていくのが分かった。東京の先生方に掛からなければだめだ。教員を辞めようかと思う日が続いた。

そんなある日、伝説でしか知らない青木秀男先生が、突如稽古に見えられた。青木先生は、十九歳で東大剣道部の師範代を務めた、皇道義会(北辰一刀流)の天才剣士だ。東京の小西司郎範士の恩師でもある。当時は60代半ば。癌で片肺と肋骨二本と声帯を取ったあとで、面をお弟子さんに着けてもらうほど、力もなかった。

私は、面を着けたなら、遠慮はしない方針だ。伝説の剣士に、突き・体当たりはもちろん、東京の大先生方に冷や汗をかかせた、自信ある、あらん限りの技を繰り出し、立て続けに五回も掛かった。足も掛けた。ところが、先生は、スイスイと動いて難なくかわし、ゆっくりと打って来る。そのスローモーションの竹刀が、軽くポコンと当たる。

その時の情景が、特別門弟・戸田雅裕君の表現した、彼の稽古風景に似ているので、ここに載せてみる。

「間合いは難しい。遠くから飛び込んではだめ。よし、攻め込んで打とうと思うが、入る間際にポコ~ンと打たれる。慎重に警戒しながらいこうと思うと、居着いてますよとボコ~ンと打たれ、まずい!と前に出た瞬間に、またボコ~ンと打たれ、引いてもポコ~ン。これを繰り返しながら、またボコーンと打たれる。私はいったい・・・そのとき、またボコ~ン。打っていただきありがとうございます。そしてまたボコ~ン。その後もボコ~ンはつづく・・・」私は、こんな感じで、ポコ~ンと打たれていた。

(はぁ~。こんな名人、まだ世の中に居たんだ。)伝説から出てきた青木先生は、伝説通りの人だった。

達人の言は一致する

稽古のあとで、青木先生は言った。「あんた、子供と稽古できる?俺は、子供と稽古すると汗をかく。子供は考えないで動くけど、大人は考えてから動くから、大人とやるのはカンターン。ほら、汗なんかかかない。」

先生と、子供との稽古を見た。先生が現れると、子供は先生の前にしか並ばない。子供たちは、喜々として稽古している。先生は、子供が一つ動く間に、三つも動く。自由な子供の感性を先取りして動くことは、大人の動きを読むより、よほど難しい。佐藤先生の言った「子供に学べ」の意味が、分かったような気がした。

 達人の言は一致した。子供から学ぶことが本当にできれば、誰でも達人になれるということであろう。