ホーム&アウェイ

ダーウィンによると、オスとメスの容貌が甚だしく違う生物は、美しい装いをしている方が「選ばれる側」なのだそうだ。たとえば、クジャクにおいて容貌が美しいのはオスだが、あれはメスから選んでもらうための必死の演出なのであって、けっして「おれはオスだ」と威張っているわけではない。

オスのクジャク


セイウチにおいても長大な牙を有しているのはオスで、あれも武器であると同時に一種の異性を呼ぶための美的な装いなのだろう。セイウチはハーレムを構成する一夫多妻制で一見うらやましいようなものだが、その実体はメスから選ばれた少数のオスが君臨する一方で、あぶれたオスが大量発生する、オスたちにとって苛烈な社会である。

ちなみにメスから相手にされることなく、ハーレムをつくれなかったオスの動物は、オス同士が集団になって住み、寿命がつきるまでそこで暮らす、といわれている。ある学者はその場所を「悲しみの丘」と呼んでいるらしい。(上野千鶴子が提唱する「おひとり様コミュニティ」のオス版のようなもの?)

さて、われらが人間においては、美的な装いをするのはたいていの文化集団において女性の側だが、それは男性から選んでもらうための努力の現れである、とひとまずは考えがちだ。つまり、クジャクやセイウチとは逆に、人間社会においては「選ばれる」側はメスであり、「選ぶ側」はオスであるという説なのだが、

しかし、人間という他の生物から隔絶して文化・文明が進化した種に、他の動物と同じセオリーを無邪気に当てはめていいのかというと、それは怪しいものだと自分は考えている。じつは女性が身を美的に装うにあたっては、おそらく男なんか眼中にないのである。

人間の女性が男性よりも美的な装いする傾向にあるのは、「異性に選んでもらうため」というより、女性同士の競い合いや、自尊心の保持のためなのではないだろうか。そして、自分がとくに注目するのは後者の「自尊心」あるいは「自己愛の精神」である。

男というものは、極端な話お国のために片道燃料で特攻してしまうまで自分自身を軽んじることができるが、女性においてそんな発想ができるのは相当な変態、といって悪ければ変人である。自分が知る限り、おおくの女性は、つねに自分の身の回りを、自分が好む人や、モノや、状況で埋め尽くすための努力を惜しまない存在だ。その執念というか、努力たるやたいへんなものである。

一方の男は、そのあたりはたいてい無頓着で、逆に、わざわざ険しい状況や厳しい環境に身を置き、それを克服したり突破したりすることに自分の存在価値をかけているところがある。つまり、周囲を快感で満たす楽しい努力より、周囲の不快感を突破する苦しい努力に価値を求める傾向がある。しかし、それだけに男は、その厳しさに負けてポッキリ心が折れたりしたら最後、ほとんど再起することができない。

ホームレスのほとんどが男であり、自殺率が男の方が格段に高いのは、多くの女性が日々の生活の中で取り組んでいるような「いかに自分の人生を自分好みの快適なものに作り上げていくか」に対する真摯な努力の積み重ねが足りないがゆえだと思う。

平成22年における男女別の年齢階級別の自殺者数の構成割合
http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/whitepaper/w-2011/html/honpen/part1/s1_1_05.html

ホームレスの人の男女構成は男性95.5%、女性4.5%
http://news.livedoor.com/article/detail/6534961/

つまり、男は観念的な「強さ」の価値を盲信するが故に、女性のような「自分の好みを直視し、快い生活をつくり上げる」努力を怠り、その結果、脆弱な人生的基盤しかもてず、よって厳しい状況や環境において甚だ脆いところがあるのではないか。

これは仕事への取り組み方にも現れる。男はふたこと目には「競合他社の牙城を攻略する」とか「今月の攻撃目標は○○社」とか、アウェイに勇ましく斬り込んでいくポーズをとりたがるが、女性は顧客まで巻きこんだ仕事の現場を、いかに自分にとって心地よい「ホーム化」するかに注力する傾向がある。

この二つの行き方のうち、どちらの方が成果を出しやすいかは一慨には言えない。ただ、別に鬼や魔神を相手に商売しているわけじゃなく、顧客だって人間だ。「攻略すべき敵」だと思って噛みついてくる人間より、「ホーム的感情を共有すべきパートナー」だと思って近づいてくる人間の方が鬱陶しさは少ないのは確かである。

古来、この種の「自分の”好き”を愛でる」努力を惜しまない男性たちもいるにはいた。ただ彼らは「数奇(すき)者」といわれ、特殊な嗜好癖を持つ一種の「変人」であるとされていた。だから、そうとう強い内的欲求と、確固たる人生哲学がないと、その道を貫くのは容易ではなかったはずだ。(・・と考えれば、こっちのほうがよほど「男らしい」のだが)これは一昔前の「オタク」に対する世間からの冷眼視と、状況的に近いかもしれない。

はじめの話にもどると、女性の方が男性より服飾において美的な装いをする傾向があるのは、男性よりも「自尊心」あるいは「自分を愛で、生活を少しでも快いものにしようという意思」が強いがゆえであり、「オスに選んでもらうため」のような生物学的理由では恐らく、ない。

よしんば、微量とも「オスに選んでもらうため」という理由があったにせよ、「オスといったってあんたじゃないよ」とヒジ鉄をくらうのがオチだから、そういうことは口にしないのが男の生きる知恵というものであろう。