「頭」とは何か

人間は自分の才能の有無についてはたいてい自覚的だ。たとえば生まれつき足が遅いのに「おれは足がはやい」と思い込む人も、絵が下手なのに「俺には絵の才能がある」と思い込む人もまずいない。しかし、頭の良し悪しについては、どういうことが大抵の人が誤解する。それは「頭が良い」とはどういうことをいうのかその定義が千差万別で、それぞれの人が自分の得意な脳みその使い方を身びいきするからだ。

記憶量に自信があるひとは頭の良さとは物覚えの良さだと定義し、学歴がある人は頭の良さとは高い偏差値のことだと断定し、金儲けがうまい人は頭の良さとは金儲けの能力のことだとうそぶき、人を笑わせることが得意な人は頭の良さとはお笑いのセンスのことだと考え、うつ病患者は自分がこんな病気になったのは頭がよくて繊細だからだと思い込む。

ようするに、「自分は頭のいい人間で、他人はみな阿呆だ」と思い込むことほどたやすいことはなく、さらに言えば、そういう安直な思い込みにはまってしまうことこそが、その人が「頭がよくない」何よりの証明でもある。 
 
とにかく自分が切望するのは、「あいつは馬鹿だ」とか「俺は頭が良い」とかいう幼稚で空虚な言葉が飛び交っている人間や社会とかかわりを持つのは御免こうむりたいということだが、それが人間精神の宿痾だとすれば、到底無理なことなのかもしれない。