一番恐ろしいこと

「一番恐ろしいのは、通貨に対する信頼が失われることだ。これが、これから多くの新興国でそれが起こるだろう。しかし、決して日本で起こしてはならない。日銀は、株価を支持するのでなく、円の価値を守ることに全力をあげてほしい。」これは野口悠紀雄さんの言葉である。

「価値」というものは心理的なものだ。「これには価値がない」との思いが広がった瞬間にその価値は消滅する。「補償が欲しい」という声も、もらう円にモノとの交換価値があればこそだが、補償を行うために円を刷れば、貨幣の価値そのものが消滅する。今の政府日銀はそのジレンマに陥っている。

現政府は気前よくカネを配れば人気取りになることが十分判っているがそれが「できない」。決してケチっているわけでもない。平時に財政規律をグダグダにして、国内外に無駄なバラマキに耽ったせいで、今の非常時にそれができない状況に陥っているのだ。

いずれ政府は補償のために日銀に大量の国債購入を例によって押しつける(≒円を刷る)だろうがこの更なる「金融緩和」がどんな危険を伴っていることか。しかし経済活動を抑制している以上、補償が無ければ人々の生活基盤や人生が壊れ、生産も消費も成り立たなくなり、いずれにせよ恐ろしい結末になる。

ことここに至っては、もはや打つ手はないのかもしれない。少なくとも自分には何も起死回生の妙手が思いつかない。財政規律をグダグダにしてきたのは安倍政権に限った話ではなく(彼が拍車をかけたことは疑いないが)、ずっと日本は「これ一筋」でやってきたのだ。

金融緩和せずに貨幣の市中流通量を増やす方法は、富裕層の金融資産や大企業の内部留保を強制的に吐き出させ、公的機関がプールし、配分する方法しかない。これは「所有権絶対の原則」に反する超法規的措置だが、これと貨幣が全く価値を失うのとどっちがマシか、という究極の選択でもある。

ここまで先行きに待ち構える悪路を見とおすことができれば、富裕な個人や内部留保が豊かな私企業が自衛手段として採るであろう道は、ほぼ推測がつく。それは今のうちに円をより安定的な価値に、一定量移し替えておくことである。