レンタルなんもしない人

「レンタルなんもしない人」さんの話を聴きに行く。

レンタルさんの需要は、「人恋しいが、人と接するのは嫌だ」という心理にある。言葉を換えれば、需要者は「人間関係を抜きにした素の人間」をレンタルさんに求めているわけで、これは「アルコール成分を抜いたビール」のニーズにも、やや似ている。「ビール」は気の抜けた味気ないものにはなるが、その分精神は均衡を止め、二日酔いからも無縁でいられる。毒にも薬にもならないが、少なくとも毒にはならない。

しかし「人間関係を抜きにした素の人間」は、惜しいかな、メディアの中か、フィクションの中でしか存在しない。生身の三十代の男性であるレンタルさんは「何もしない人」という特異な人格を「演じる」ことによって社会的存在として居場所を与えられ、さらに大きく言うと「現代日本社会の病巣」と密接な関わりを持って、世に住んでいる。そこで生じる摩擦熱が、おそらくレンタルさんの「生き甲斐」にも、仕事の「遣り甲斐」にもなっている。

自分はレンタルさんが内に隠し持ている情け容赦のない高度な批評眼を感じるから、とても気軽に「レンタル」を頼むような気にはならないが、どうしても頼まなくてはならない(そんな状況はあり得ないが)としたら、一時間ほど目の前に座って、絵のモデルになって欲しいと思う。

レンタルさんの「成功」の秘訣は、ひとつは他者に「無人格」を錯覚させる、透明感と清潔感がある、端正なルックスにある。これは単に造形として美しいし、その「マスク」の下でどんな過去の記憶や激しい感情が渦巻いているのかも、描いてみることでいくらか判るのでは、といったような興味がある。