意味のある線

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 絵を描くときいつも意識にのぼるのは、塗っている色や、引いている線に「意味」があるか、ということである。

「意味」で伝わりにくいのなら、「効果」といい換えてもよい。その一筆一筆が、自分にとっての良い絵(それは必ずしも他者からの評価とは一致しない)を構成にするのに、ちゃんと貢献しているか、ということである。

貢献していないのなら「意味」がないし、それは意味がないどころか足を引っ張ることもあるのだから、意味の有る無しは、かなり切実なものがある。

以前、ある剣道の強豪高校の監督が生徒を指導している動画の中で、「おまえの打っているその一本一本に、ちゃんと意味があるか考えろ」と問いかけているのを見たことがある。

意味のない「無駄打ち」は体力の消耗だけでなく、相手がつけいる隙をつくることでもある。ぼんやりと何気なく面を打ったり、相手の動きや心理におかまいなしに胴を打ったりすることが、如何に意味が無く、かつ危険なことかは、剣道をいくらかでも経験した人ならば、実感できることだ。

たとえ打突が当たらなくても、「意味のある打突」の連鎖は。いずれ本当の「一本」につながる。これは、「意味のある一筆」の集積が良い絵画作品へと結実するのと同じしくみである。

もっとも、「この一筆には意味あるか」をいちいち問いかけながら絵を描いているわけではない。絵を描くという作業はスポーツのような条件反射による即興技術という一面が濃くあり、「意味」は、ときどきで自分の心のセンサーが直覚的に、かつ精確な答えを出す。

そして、意味を感知できるようなセンサーとその礎の知性が、剣道であれ、絵画であれ、ともに重要になる。