無知蒙昧

 たとえ自分の方に理があったとしても、相手の逃げ道を全部塞いで徹底的に追い込むような戦い方をするのは間違いだ。そもそもこういう野蛮な戦い方をするのは人間同士だけで、動物同士のケンカでは「負けた」サインが明確にあり、「勝った」方はそのサインが出たら矛を収めるルールがちゃんとある。

いにしえの武士が刀を腰に差していたのは、闘うためではなく、ささいな諍いが容易に命のやり取りになることを身に沁みて知っていたから、そのアラートを常に出しておくことによって、逆に闘いになるのを防いでいたのだ。極めて高度な知恵である。

闘いの本質を知らないから闘いを恐れない。恐れないから、無思慮に、気の向くままに、容易に角のある態度をとる。

高圧的な態度をとり、威勢よくやしつけたら首尾よく相手が引き下がり、こちらは「勝った」と思っても、相手の中に屈辱は残り、関係性の中の禍根は生き続ける。踏みつけた方は忘れても、踏みつけられた方はそれを雪ぐまで決して忘れない。

報復のリスクを孕み、以後静かに増幅しつづけるという意味では、本当の意味で「勝った」とは言えない。実質的には「負けた」とさえ言える。

相手との間合い(距離感)に鋭敏になる。間合いをつめすぎず、詰めるときは礼儀を盾にしてにじり寄るように進む。そして、詰めきったらあとは「親しくなる」以外の関係性はありえず、詰めて親しくなれる見込みがない相手と判ったら、早々にその関係を見切り、敬して遠ざける。

これが日本人の知恵であったはずだが、最近では、国家レベルにおいても、個人レベルにおいても、「依存するか、喧嘩するか」以外のふるまいをしらない。それを「国際政治の峻厳さ」だとか「外交のリアリズム」だとか「社会の厳しさ」だとかうそぶいている。なんという愚劣さ、なんという無知蒙昧であろうか。