伊藤詩織「ブラックボックス」

伊藤詩織著「ブラックボックス」を読む。

著者の伊藤詩織さんの職業はフリージャーナリストで、TBSテレビのワシントン支局長(当時)山口敬之が犯した「準強姦」(被害者が意識不明の時に行われる強姦)事件の被害者である。

伊藤さんは事件当時、加害者に、TBSワシントン支局への就職の世話を頼んでいた。加害者は、その進捗で伝えたいことがあるという理由で伊藤さんを呼び出し、鮨屋で催眠性の薬物(俗にデートレイプ・ドラッグという)を酒に混ぜて飲ませ、前後不覚になった被害者を東京の「シェラトン都ホテル」に連れ込み、意識不明のまま強姦した。

ホテル玄関の監視カメラや、両名を乗せたタクシー運転手の証言、被害者の下着から検出された加害者のDNAなどによって、犯行の容疑が固まり、裁判所から逮捕状が交付され、あとは加害者の帰国を待って空港で逮捕、という段取りまでできあがったところで、警視庁の上層部のストップがかかり、突如逮捕は取りやめになった。そののち、警察と検察の担当者を入れ替えて再捜査することになった。

加害者の山口敬之は、「総理」という著作がある安倍晋三の御用記者であり、その懇願を受けた安倍氏とその意を受けた秘書官の北村滋氏が、陰に日向に警察に手を回し、有形無形の圧力をかけ、逮捕を中止させたとみられている。公権力の私物化、ここに極まれりというほかない、あいも変わらない外道ぶりである。

激しい痛みにより目が覚めたとき、被害者はベッドに仰向けで横たわり、加害者の全体重を受けていた。ここから繰り広げられる被害者の抗議と加害者の抗弁(にならない単なる逃げ口上)の修羅場での、加害者の言動のあまりの卑怯さ、振る舞いの醜悪さは、読んでいて気分が悪くなるほどだ。

伊藤さんが加害者に「下着を返してほしい」といったところ、加害者は「パンツぐらいお土産にさせてよ」といった。この言葉を聞いたとき伊藤さんは、体中の力が抜けて立っていられなくなり、座り込んでしまう。それを見て加害者は「今までは出来る女みたいだったのに、今は困った子供みたいで可愛いね」といった、という。

こんなおぞましいセリフのやりとりは、どんな小説家でも作れるものではない。人間は、時と場合によってここまで醜くなれる標本のような情景である。

強姦は「魂の殺人」ともいわれる。生きながら「殺された」伊藤さんは、はじめはその現実をどう受け入れていいかわからず、ただひたすらに絶望するだけで、怒りすらわかなかったという。

「怒り」という感情は、常識感覚が支配する「娑婆」の世界においてのみ生じるものだ。人間は怒ってよい相手や状況と、怒ってはならないそれらを、意識的にせよ無意識にせよ、戦略的に区別しており、実は「怒り」とは普通言われているよりも、ずっと打算的で、いうなれば理性的なものなのである。

事件がおおやけになったあと、伊藤さんは父親から「なんでもお前はもっと怒らないんだ。怒りをもて」といわれたり、警察官からは「もっと泣くか怒ったもらわないと伝わってこない。被害者なら被害者らしくしてくれないとね」といわれている。これらは、娑婆の世界に棲む人が、常識感覚で述べる言葉であり、異次元に投げこまれた身の伊藤さんの心事からまるでかけはなれた「アドバイス」である。

煉獄に焼き尽くされているような状態の間は、その襲いかかってくる苦痛や苦悩に耐えることで精一杯で、その原因になった存在にまで思いが至らない。

強姦の被害者は、これまでの人生観や日常感覚がすべてひっくり返ったような異次元の世界に、突然放り込まれたような状態になる。その右も左もわからないアウェイ環境の中で、どう振る舞うとトクをするのか、どう行動するとソンをするのかが、さっぱりわからなくなる。

事件の直後、まず伊藤さんの頭をよぎったのは、この事件そのものを自分の感覚の工夫によって、人工的に「なかったこと」にできないか、ということだった。災害や戦災の被害者とはちがって、自分がこうむった肉体的な物理的な被害は限定的(性器は軽傷で、膝は重傷だったがそれでも歩けることはできた)で、自分の「心の持ちよう」や「受け止め方」を工夫すれば、難局自体が霧散するのではないか、ということだった。

伊藤さん自身は、こう述べている。
「忘れたい気持ちがあり、これはすべて悪い夢なのだと思いたかった。まだ体の痛む箇所もあり、混乱する頭も麻痺しているようだった。私さえ普通に振る舞い、忘れてしまえば、すべてはそのまま元通りになるかもしれない。苦しさと向き合い戦うより、その方がいいのだ、と、どこかで思ったのだろう」

また、当時、山口氏はマスコミ業界での地位もあり、おまけに安倍政権の覚えめでたいことも周知だったから、被害を訴えることが長い目で見て自分にとって得策なのか、という迷いもあった、という。(なお、伊藤さんが事件直後に、努めて平静を装った業務メールを加害者に送っているが、この一見不可解な行動の背景にはこのような心事がある。そして、加害者は、その後発表した手記で、伊藤さんのビジネスライクなそのメール文面を自分の無実あるいは罪の軽微を主張する根拠にしている。)

しかし、「魂の殺人」の凄まじいまでの犯罪被害は、「心の持ちよう」などという心理操作や、権力へのおもねりなどという打算ですっかり解消するほど、生やさしいものではなかった。

「考えてみれば、起こったことを無視して忘れるなど、できるはずがないのだ。飲み込んでしまおうとした塊は、消え去るどころか、次第に大きく膨れ上がって私を苦しめた。仕事にでかける気力もなくなり、膝のけがを理由に会社を休んだ。何よりも辛かったのは、事実を伝えていく仕事で生きていこうと決意したのにも関わらず、自分の中で忘れることができるわけもない事実に、蓋をしようとしていたことだった」

伊藤さんは、逡巡の末、この犯罪にたいして真正面から向き合う以外、自分が生きていく道はないという覚悟を決める。伊藤さんは、下してしまえばごく順当なこの決断に、一週間ほどかかった。この本のなかでも書かれているが、伊藤さんは驚くべき行動力と、鋭い思考力と強い発信力がある、生まれながらのジャーナリストの資質を豊かに備えた、有能な人間である。その人にして、このような逡巡から一週間も逃れられなかったのだから、ごく一般の女性が被害に遭った場合に、この犯罪被害と対峙するハードルの高さは、推して知るべしである。

伊藤さんが、異次元感覚から現実感覚を取り戻し、正当な権利意識を熱源に犯罪に対峙することができるようになった陰には、友人や家族の存在があった。とくに友人が、涙すら出ない、一種の狂気感情に包囲されたような自分の代わりに「泣いてくれた」ことによって、伊藤さんは、正気を徐々に取り戻していった。

彼女には元検事の叔父がいて、この人からは、検察や警察の組織の有り様や行動原理、捜査の常道や、法的手続きのしくみについて親身のアドバイスをもらっていた。これらの周囲の人々が、彼女の行動を力強く支えていた。被害者の立場で有ればなおさら、人間は一人では戦えない。

この事件は、週刊新潮の報道、そして伊藤さんの記者会見によって、広く世間に知られるようになった。加害者である山口敬之は、「強姦事件被疑者」として社会的制裁を受け、本業のジャーナリストとしてはほぼ廃業に追い込まれているが、法的にはいまだ自由の身である。

この事件は、検察審査会の審議を経て刑事事件としては不起訴が確定し、現在民事で争われている。伊藤さんは、世間からのいわれなきバッシングをさけ、現在外国で暮らしている。しかし、伊藤さんは今、事件が起こる前に時間を戻したいという気持ちは一切無いのだという。

それは、いくら願っても昔の自分に戻ることは絶対にできないからだし、また、「意識が戻ったあの瞬間から、自分と真実を信じ、ここまで生きてきた一日一日はすでに私の一部になった」からだという。そして、

「今まで想像もできなかった苦しみを知り、またこの苦しみが想像以上に多くの人の心の中に存在していることを知った。同じ経験をした方、目の前で苦しむ大切な人を支えている方に、あなたは一人ではないと伝えたい」と述べる。

そして一方で、
「私は『被害者』というこの避けようのない言葉がまとわりついてくるのが好きではない。『被害者』は私の職業でもなければ、私のキャラクターでもない」とも述べる。

自分はこの二つの言葉にはギャップがあると思う。しかし、このギャップは、これからの伊藤さんのジャーナリストとしての仕事や、犯罪被害者救済の社会的活動に向けた、絶えざるエネルギーの噴出口になるだろうとも思う。