人間が人間を支えるしくみについて

 正月に、講談社の社員が自宅で妻を絞め殺したというニュースを聞いた。夫婦には四人の子供がいるという。妻の死因は首を絞められての窒息死らしい。容疑者は嫌疑を否認しているが、絞殺が事実ならば、「妻」の首にかけた指先に渾身の力を入れるとき、「夫」の脳内で煮えたぎっていたであろう莫大な負のエネルギーは、いったいどこから来たものなのだろうか。

容疑者は、京大を出て講談社に入り凄腕編集者で鳴らしていたという。学歴・社歴において社会の選良ルートを見事になぞり、仕事では有能と認められ、なお円満な家庭人でもあったとは出来過ぎの観があるが、反社会的行動は、出来過ぎでも出来損ないでも、ほぼ関係なく起こすものである。

では何が関係しているのかというと、個人の事情よりも社会の背景の方が、比重が高いのではないか。一般論だが、傷んだ人が生まれるのは、社会が傷んでいるからだ。病んでいる彼は、病んでいる社会の代表であり、象徴でもある。だからといって偉くはないが、そういう意味でこの「妻殺し」は、現代を象徴する事件のように自分には観ぜられる。

自分にとってこの事件は、そういう評論家然としたスタンスが採れるほど他人事であるのだが、ことの真因が社会にあればあるほど、逆に自分にとっても他人事ではない、ということでもある。

過去のある時代まで、長寿や子沢山といった「命の量の増大」は、ほぼ無条件に祝福すべきものであった。しかし、現代ではこれがリスクになりつつある。なぜこの転換が生じたのかをまともに説明すれば長くなるが、ひと言でいえば「共同体が崩壊し、個人がバラバラになったから」だろう。

かつて、老いた命や幼い命は、その肉親だけでなく、社会ぐるみで保護し養育するものであった。「親はなくても子は育つ」という(ほぼ)死語があるが、この言葉が本質的に意味しているのは、「子供自体におのずから育つ力がある」というよりも、「たとえ親がいなくても社会全体で面倒をみるから大丈夫だ」である。

「社会」をもっと平たくいうと、近い存在で祖父母や孫などの肉親、親戚や親族、ご近所や町内会、所属する商店や工場や企業、広げれば、同じ言葉を話し、同じ価値観を持ち、同じ風土のもとで暮らす同胞である。

かつての日本が「かわいい子供に旅をさせ」ても安全だったのは、社会に共同体意識があったからだ。独りでいる人間を(これは良きにつけ悪しきにつけだが)けっして放っておかない社会の空気が、かつての日本には満ちていたからである。

ちなみに、かつて濃厚に有ったこの空気を体感したければ、たとえば「お遍路」の旅に出るのが一つの方法ではないだろうか。「お遍路」の旅で得る果実は、厳しい旅程を踏破した御利益ではなく、ゆく道々で寄せられる市井の人々からの無償の支援による、共棲感覚(自分は独りではなく、苦しいときはきっとだれかがが助けてくれる、という信念)の回復なのである。

お遍路というと、現代では、芸能人や政治家が人気回復のパフォーマンスに利用したり、バスや車で行うオリエンテーリングのようにも思われている向きもあるが、松本清張が「砂の器」で描写したように、かつてはかなり陰鬱なイメージをまとっていた。

病の痛みと恐怖から救われたい、破産したり婚家から追い出されて住む家がない、どうしても肉親の死が受け入れられない、という大きな欠乏を抱えた人間たちの切実な人生の苦しみ、自死一歩手前の崖っぷちから逃れる、最後の手段として位置していた。

お遍路には「同行二人」というコンセプトがある。これは弘法大師入滅間際に残したとされる以下の言葉によって裏書きされている。「わたしが死んだ後も修行して歩きなさい。本当に困ったら『南無大師遍照金剛』と唱えればわたしは直ちにおまえたちのそばにいって、一緒に歩いてやる」と。

注意を要するのは、「助けてやる」とは言わずに「一緒に歩いてやる」と言っているところだ。病は容易には治らないし、失った財産は二度と戻らないし、死んだ人が生き返ることはない。しかし「お大師さん」がいつも横にいて、いっしょに歩いてくださる。苦しみに直面している人にとって、これは最高の言葉ではないだろうか。

お遍路のシステムが秀逸なところは、「お大師様」を媒介にして、行者(お遍路さん)と遍路道の人々の相互扶助が成立しているところだ。遍路道の人々は行者を「自分の身代わりで修行してくれている」と観じて、施しと援助を惜しまない。行者はそのサポートを受けながら「自分はけっして孤独ではない」という共同体感覚を回復する。この高度な連関性があればこそ、「お遍路」は千年間も続いてきたのだと思う。

脱線を続けると、日本人がこの共同体感覚から切り離され始めたのは、明
治に入ってからで、以後、西洋的近代化と歩調を合わせて進行した。この、共同体から離れ人生の諸困難にたった一人で立ち向かわざるを得なくなった苦悩が、日本の純文学の主調底音になっていると思う。

ちなみに土居健朗は「甘えの構造」の中で、共同体が崩壊したあとも人々の心の中ではかつて互いに許されていた他者への依存欲求(甘え)の残滓があり、そのギャップが精神の均衡を犯し精神疾患として発現するのであり、これが日本人の神経症の正体だ、と説いていた。

ただ土居は「だから日本人はもう甘えてはいけないのだ、人間として自立しなければならないのだ」と結論づけているわけではない。当然ながら、人間社会は、人生は、そんな単純な構図では説明はつかない。

逆説的な書き方になるが、ひとりの人間は周囲に支えられてこそ自立できる棒のような存在である。そして、他人に支えられて自立した人間同士がよってたかってさらに他人の自立を支えている。これは日本人に限らない、人間社会の普遍的な様相である。「近代」とはこの人間社会の普遍的な様相を少しずつ解体していくプロセスでもあったのだが、この様相を解体することは、「人間」自体を解体することでもあった。

この共同体意識があればこそ、たとえ家の中に耄碌した年寄りがいようとも、たとえ十人の子供がいようとも、一たび不如意があれば、血縁があろうがなかろうが、お節介な誰かの助けの手がどこかからいつのまにか次々と伸びて、現代人のように個々人がたった一人で真っ暗な穴蔵に閉じこめられて苦悩に蹂躙されるということなど、おそらくなかったのである。

共同体の最小単位として「家族」がある。しかしその半径3メートル以内の成員だけでなにもかもこなして、生き抜いていけるほど人生の荒波は低くはない。ようするに、現代のような共同体が崩壊した現代社会において、夫婦だけでたくさんの子供を育てるのは原理的に無理があるのである。

「いや、うちは外の誰の助けも借りないでやっているぞ」というケースもあるだろう。しかし、今やれているからといって将来もやりきれる保証などどこにもないし、一皮めくればどちらかの異常な努力や、我慢や、才覚や、たんなる幸運で、破綻をすれすれで回避しているだけなのかもしれない。

ちなみに、昭和一桁生まれの自分の父親は六人兄弟で、その両親、つまり自分にとっての祖父母は、裸一貫で生まれ故郷の共同体から抜け出て東京に出てきた過去を持つ。しかし祖父が事業で成功したこともあり家は富裕で、祖母は子育てにおいて家政婦(女中)の手を借りていた。

都市で、子沢山の家庭を営み得たケースは、こういった富裕な経営者や、役人を含むハイレベルのサラリーマンにほぼ限定され、さらにいうと当時は金がかかる学習塾も、習い事も、マイカーも住宅ローンもほぼ皆無で、子育てにかかる手間もコストも現代とは比較にならないほど低かったのである。

また、故郷を出て都会に移り住んだ生活者たちも、その住みついた土地や、就いた職場において共同体を構成し、その相互加護のもとに物心の安寧を創出していた。見ず知らずの人間の集合体である団地や住宅街でも、新しく近くに引っ越してきた人がいればどんな人かが気になるし、うっとおしい、めんどくさいと思いながらも、お互い何かと世話を焼いてきて、それがお互いのささやかな支えになっていたのである。

男はつらいよ」という映画を観ると、戦前から昭和四十年代あたりまでの、都市における共同体のありようがよくわかる。寅さんは、一見自由気まま風の向くままのフーテンだが、叔父や妹や近所の町工場の社長たちは、寅さんが完全に孤独になることを絶対に許さないし、寅さん自身もそれを全く望んでいない。寅さんは拠るべき共同体、いつでも帰ることができる居場所ががあればこそ、うかうかと全国を漫遊できたのである。

戦前は多くの国民が農村か漁村に住み、第一次産業に従事していたが、当時の農業や漁業は労働集約型で、働き手はいればいるほど助けになったから、子沢山は経済的要求でもあった。中等学校へはよほど家庭が裕福か子供自身が優秀かでないと進学せず、子供は小学校を卒業するとすぐに「即戦力」つまり、共同体の担い手になった。つまり子供は社会や家族の「負債」である時期はごく短く、子供は「資産」として確固たるプレゼンスがあったのである。

結局なにがいいたいのやら、という文章になってしまったが、言いたいことは以下である。

「社会とは、人間や家族を孤独あるいは孤立という危険にさらさないしくみの謂いである。ひとりの人間は多くの人間がよって支えられ、ひとりの人間はほかの誰かを支えている。人間はそのしくみにコミットすることによって初めて存在意義が生じ、それをせずして彼は、幸福になれないし、救われもしない」と。

並べてしまえば陳腐な話ばかりだが、冒頭に挙げた「子沢山家庭の妻殺し」のニュースに接して、さまざまな思いが群がり生じたので、書き留めておきたくなった。なお、今回の事件は妻が殺されたが、子沢山の親が子供を殺す事件も近ごろ起きている。そういった事件の真因も、つまるところ同じだと観てよいと思う。