最高の「理想」と最低の「現実」

新横浜─小田原間を走行中の東海道新幹線「のぞみ265号」で殺傷事件が発生した。加害者は、ナタを振るって乗客に襲いかかり、男性1人が死亡、女性2人が怪我をおった。亡くなった男性は、横浜での出張を終えて、「のぞみ265号」に乗り、妻の待つ兵庫県尼崎市のマンションへと帰る途中だった。


 東海道新幹線の中で、ナタを凶器にした殺傷事件が起きた。加害者は最初隣にいた女性に危害を加えようとしたが、制止に入った男性に切りかかり、十数カ所を切りつけて、殺害した。

38歳の被害者は、神奈川県のキリスト教系の進学校栄光学園から東大を出て京セラに就職、ついで外資系メーカーに転職し活躍中という、現代日本におけるの典型的なエリート人生を歩んでいた男性だった。

一方22歳の加害者は、生来人間関係が苦手で、職業訓練学校を出たあと就いた仕事も長続きせず、祖母に引き出し自由のカードを預けられて放置され、家出状態にあったという。

加害者の愚劣さ残忍さを弁護するいかなる言葉も見つからない一方で、被害者の立派さ勇敢さを讃える言葉は尽きることがない事件だが、当事者の切実さを離れてみれば、これは現代における残忍なまでの「格差」が、凶悪な殺人事件の形で表象したと見えなくもない。

被害者の男性は、現代日本社会における「貴族階級」で、それまでの人生で培ってきたノブレス・オブリージュ(高貴なる身分にある者が果たすべき社会的責任)に従って、勇気を振り絞って暴漢に立ち向い、結果命を落とした。

約めて言うと、この事件は、最高の「理想」と最低の「現実」が文明の結晶体である新幹線の中で衝突したのである。

高邁な理想は頭や心に宿るが、現実の手には血塗られたナタが握られている。この構図は普遍的だ。歴史上、「理想」は幾度も幾度も、権力や暴力を携えた現実の力によって蹂躙され、弾圧され続けた。

人類史は理想と現実の闘争史である。そして、実はこの闘いには決着が着いていないどころか、リアルタイムの状況では、理想が劣勢で現実が優勢な状況にあり、この状態はほぼ世界共通である。

世界には今、ミもフタもない「現実」だけが大挙して居座っている。「理想」が座る席は無い。「理想」は座ったとたんにナタで切りつけられる。

「現実に負けないつよい理想を、今こそ立て直さなければならない」誰もが賛成するテーゼなのに、誰も話の進め方は知らない。