新井白石という理想

 新井白石の悪貨駆逐を旨とする金融・財政政策は、デフレと経済縮小をもたらし、かくなる賢人も経済は死角だったという評価が大勢を占めているようだ。しかし、貨幣への根本的な信頼が揺らげば国そのものが揺らぐということは、普遍的な真理だと思うし、

金融緩和とは、ようするにマネーを単なる紙切れにすれすれまで近づける、一種のチキンレースであり、結果がどう転ぼうとも、こういう神経ゲームにとりつかれている人間たちの顔つきが、どんどん卑しいものになっていくことは争えない。

今の政治界は、二世か、芸能人の敗者復活か、山師か、ハッタリ屋の巣窟になっており、新井白石のような教養人が出る幕はまったくないのであるが、本来政治とは、高い見識と深い教養を持つ人間が知恵を持ちあって行うべきものだ。

「高い見識と深い教養」なんて、現代においては何のことやらだが、それでも自分はそういう人間たちが政治をとる理想を信ずる。これを「夢」だと放擲した時点から、社会の堕落は始まるのだろうから。(というか、すでに始まって久しいのだが)

プロ野球選手は野球に向いている人間がなるべきだが、政治家は政治に向いている人間がなるべきではない。政治は人間社会において極めて重要なものだが、その本質に存する「権力」に頓着しない非政治的人間という存在もあっていいし、実は、そういう人間こそが政治を采配するにふさわしいのではないだろうか。

切支丹屋敷の人骨 新井白石に影響与えた宣教師か | NHKニュース http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160405/k10010468191000.html