「起きてはならないこと」が起きたとき

 日本軍の兵隊は、局地戦で敗北しいったん捕虜になれば、敵国の尋問に対して軍事機密であろうが何だろうがお構いなしにしゃべり、友軍を窮地に追い込んだが、米軍の兵隊は捕虜になっても容易に口を割らなかったという。

誰しもがそうだったというわけではなく一般的な傾向としてそうだった、ということだろうが、この違いが生じた背景は明白だ。

「生きて虜囚の辱めを受けず」の日本軍において捕虜になることは「起きてはならないこと」だったので対処方法を教えることは無かった。一方、米軍は捕虜になることは戦争である以上当然「あり得ること」と認識していたので、そのときの対応方法を伝授しており、その中に尋問を受けたときのシミュレーション教育があった。

おそらく日本軍は、「捕虜になったケースを想定することは、捕虜になることを容認することになる」と考えていた。ある意味「言霊」めいた風習だが、言うまでもなくこれはきわめて浅薄な考えである。

たとえばサーカスの空中ブランコの下にセーフティネットがあることは「演技中に落ちることを容認している」ことにはならない。満座の観衆の中で演技者が落ちることは「あってはならないこと」だ。しかし、それと「転落から命をまもること」は、また別の話である。

また、空中ブランコの演技者にとって、セーフティネットの存在は、より果敢で切れ味のある演技への後押しにもなっていただろう。同じ事情で、捕虜になっても生き延びることを教える米軍の軍律哲学は、兵士の戦うモチベーションを高める方向に作用していた可能性がある。

「背水の陣」に仮託すると、日本軍は「川に落ちたら潔く溺れ死ね」と強要したが、米軍は、「川に落ちたら何としても向こう岸まで泳ぎ渡れ」とその方法を教えた。どちらの方針が、真に戦士としてのポテンシャルを高めるか。日本の戦争指導者はそれついて正しい答えを出す知性を残念ながら持ち合わせてはいなかった。

人間には、「万が一の備えが却って万が一を招きよせる」という思いこみがある。別言すれば、準備や対策を保留することによって恐れていたことが起こらないままでいてほしいと願う心的態度だが、これはいうまでもなく迷信である。

「万が一の事態」は、その準備があろうと無かろうと、関係なく起きたり起きなかったりする。

たとえば、福島での原発事故で事故対策の実態があまりにお粗末だったことが露呈されたが、これは関係者諸氏がボンクラだった、あるいは手を抜いた、というよりも、「事故対策を講じることが事故をおびき寄せるのではないか」という無意識の恐れがあったのではないか。

ついでに言えば、世に喧しい「ポジティブ思考」が破綻する場合、何割かはこのケースに当てはまっているような気がする。