日テレVS女子大生血風録

 世間知とルックスが備わっている女子大生には、それを存分に活かすもっとも実入りが良いアルバイトを選ぶ権利があり、今においてはそれをやかまし咎める向きなど宮内庁かテレビ局くらいのものだろう。

どちらも人間の本質よりも、見栄と建前が横溢している世界だ。その世界の掟は、「少なくとも入口を通るときには『清純』でなければならない」というものであり、「ホステス履歴」は明確にその禁忌を犯している。

だから日テレはホステス履歴が発覚した時点で内定を取り消した。これは正常な反応である。その手続きはあたかも食品会社が製品に混入した異物を取り除くように何の疑義もなく行われた。しかしその「掟」にうとい一般人の感覚からすれば、その業界的「厳格さ」が奇異と映り、論議が巻き起こった。

世間から観れば「ホステス虫が一匹混じっていたぐらいで何で出荷停止になるんだ。そんなことなんでもないじゃないか」というわけである。

確かに、同じ一流企業でも、総合商社やメーカーならば、ホステス履歴は勲章にはならないしても何の瑕疵にもならないだろう。「あのぐらいかわいけりゃ、そりゃホステスぐらいするわな」で済んでしまう話である。

少々の瑕疵でも許される本質や実力重視の業界ではなく、一片の瑕疵でも許されない虚飾まみれの業界を志向していながら、その瑕疵を指摘されて排除されることに反発し、あまつさえ裁判沙汰まで持ち込もうとするとは、いったいどういう了見なんだろう。

フェミニンなルックスの奥に、猛獣のような自己実現欲を隠し持つ様態、それを「女子力」と呼ぶのならば、この女性のそれは相当なものである。

考えてみれば、ひらひらの衣装を着て、オヤジ好みのトークを繰り広げてお金を稼ぐという意味では、ホステスも女子アナも同類なのかもしれない。

とすれば、ホステス履歴のある女子大生は、テレビ局にとって排除するどころかすでに修羅の巷で鍛錬済みの「即戦力」として遇すべき存在なのかもしれない。

・・というふうに思い直して、日テレは一転採用に踏み切ったのならば、かの女子大生にとって幸いだが、今回にかぎっては断じてそういうことではない。日テレの「一転採用」の目的は、たんなる世間の反論封じである。

ようするに「どっちもどっち」というわけだが、「痛み分け」した両者がその双方が負った傷が癒えぬうちに無理やりくっついているというシリアスな現実が、今後どう展開していくか見守りた・・くもないけど。

女子アナを目指す人というのは、その時その時で自分に求められている役割を嗅ぎ取る力にすぐれた人で、そういう意味では「頭がいい」、「生きる力」が旺盛な女性たちだ。たとえば、若い時はおちゃめな天然ボケを演じ、中年になったらジャーナリストを気取るなど朝飯前のひとたちだ。

しかし、その鋭い世間知、機を見るに敏、臨機応変な世間知は、底知れない「腹黒さ」として自分には観える。ルックスが洗練されているだけにその一種の不純さはいっそう際立つ感じがする。そして汚れた業界ほど清潔を、不純な業界ほど清純を、建前にあるいはウリにするものである。

今回の一連の騒動は、実態は不純な業界が、見せかけの清純を巡って毒づきあった茶番劇に過ぎない。見世物としては確かにおもしろかったけれども。