このハシ渡るべからず

●戦争の原因がつまるところ領土の分捕り合戦であることは今に始まった話ではなく、その幼稚さを責めたところで抑止力としては働かない。戦争を抑止するのは自国と敵国の戦争遂行能力の冷徹な比較考量であって、そこでの「負ける」あるいは「勝っても損害が甚だしい」という見通しのみが開戦を抑止する。

●「負ける」あるいは「勝っても損害が甚だしい」戦争は決してしてはならないということが70年前に日本人の骨身に滲みた。そこで採った国家的方針は、「戦争はそもそもしない」という本則と「やむを得ずしたときでも決して負けない戦力を保持する」という附則であった。

●「戦争はそもそもしない」という本則は憲法9条として、「やむを得ずしたときでも決して負けない戦力を保持する」という附則は自衛隊として、それぞれ具体的なかたちをとっている。

●「あいつは喧嘩をすれば相当つよいが、でも絶対に喧嘩はしないって心に決めてるんだ」というあり方が、いかに敵を恐れさせ、友人を畏れさせるか、その効果をもう一度来し方を振り返って考え直したほうがいい。

●「法律を改正する手続きのハードルが高いから、解釈を変えてしまおう」こういうでたらめが通用するさまを、「無理が通れば道理引っ込む」という。人の言っていることを、自分の都合のいいようにどうとでも「解釈」しようとする態度を夜郎自大といわずしてなんといおうか。

憲法9条は、どういう頓智的曲解を弄しようとも、他国の助太刀としての戦闘を認めていない。この条文を読んで、そういう「解釈」ができると声高に言い張る人がいたとすれば、恥知らずの嘘つきか、日本語の読めない低能かのどちらかだ。

憲法9条は、虚心に読めば、いっさいの戦争つまり自衛としての戦争すら認めていない。しかし、それではさすがに行き過ぎだろうと、多くの国民は認識を共通にしている。この認識を共有していないのは一部の左翼思想者だけで、彼らは例外中の例外だと考えてよい。

●日本国民の命と権益を守るのは、法律の頓智的曲解ではなく、自衛隊の精錬と増強だろう。国民の命が他国の侵略によって損なわれ、自分や家族の命が危険にさらされる事態になれば、左右とりまぜ自衛隊が軍事的に立ち上がることに反対する人など恐らくだれもない。

●「日本は(軍事的に)普通の国にならなければならない」と言うひとがいる。しかし、「素晴らしい(国是を持つ)国」をそんじょそこらにある「普通の」国にレベルダウンさせることに、いったいどういう意味があるのか。