雁屋氏の覚悟

 雁屋氏は「福島をこういう状態にした原子力行政と東電を糾弾する」のが本意なのだろうが、「こういう状態だ」ということによって被害者である「福島」がハレーションを起こす事態は、ひょっとすると計算外だったかもしれない。

加害者の罪過を糾弾するために、被害者の損害を強調することは一見正義の行為だが、そのことがさらに被害者を窮地に追い込むことがある。これはその罪過が事実か否か、その糾弾が適切がどうかとは別の問題として発生する。

この問題を「表現の自由」という法的側面から論じる向きもあるようだが、この言葉は遣うのには少し注意を要する。憲法21条が保障しているのは「思想や感情」であって、「事実」あるいは「科学的真理」ではない。

「漫画」という見かけ上のアウトプット形式に惑わされてはならない。雁屋氏の一連の言説は「それが事実あるいは真理かどうか」の観点から評価されるべきであって、もしそこに誤謬が含まれていれば弁解の余地はない。

よしんば雁屋氏の言説が「事実あるいは真実である」ということが証明されたとしても、もう一つの問題が残る。それは氏のアウトプットが「被害者をさらに窮地に追い込む」ものではなかったか、あるいはそれへの適正な配慮があったか、という問題だ。

「そんなことは関係がない。俺はあらゆる立場の利害得失や感情反応を忖度せず、事実と真理だけを訴求するのだ」というのも、もちろん一つの殊勝な行き方ではある。しかし自分には、そこまでの覚悟は雁屋氏にはもとより無かったように思える。

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http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140516/dst14051623260014-n1.htm