あるべき姿がない国

 戦前の日本はまるで未開な封建社会だったような言われ方をすることがあるが、東京が昭和15年のオリンピック開催地に選ばれるほどの国力があった。(戦争によりのちに返上)

昭和29年、つまり戦後わずか9年にして、東京は再びオリンピックの候補地になる。都市という都市が焼き払われ、300万人の命が失われ、被災者は数知れずといった状態からのこの巻き返しはまさに「奇跡的」ではある。

しかし、一度存在したものがご破算になり、それを再び建て直したのだと考えれば、実はさほど驚くことでもないかもしれない。それは、折り紙でいえば一度折りあがってシツケがつけばたとえそれが広げられても容易に再び折りあげることができるようなもので、焦土にたたずむ日本人の頭の中には、かつて存在した明確な都市のイメージがあり、あとはそのイメージを形にすればよかったからだ。

頭の中のイメージを具体的存在として顕在化するのは簡単なことではないし、当時、直面していた現実と闘った人々の苦労は並大抵のものではなかった。しかし、9年という歴史からみればほとんど一瞬に等しい短時間での「奇跡の復興」は、こうとでも考えないと説明がつかない。

なお、この時の候補地あらそいはイタリアのローマに軍配があがるが、日本は5年後に再び立候補し、捲土重来をはたす。これが1964年の東京オリンピックである。

人間の努力は、その目標とする像が明確であればあるほど集中力が発揮される仕組みになっている。故障した一流のプロスポーツ選手が壮絶なリハビリに取り組むことができるのは、再起したときの栄光のイメージが確固たるかたちで脳裏に浮かぶからだ。

戦後の日本人には、「かつて国土に存在したものを再び現出させる」というこれ以上ない明確なイメージがあり、そのイメージを国民が猛烈に追いかけ、その余勢を駆っての高度経済成長でもあった。(ついでに言えば、悪ノリの果てのバブルとその崩壊まで、その余勢は続くことになる)

ひるがえって、現在はどうか。「東京での数年後のオリンピック開催が決定している」という状況は同じだが、人々のマインドは50年前とは似ても似つかないといっていいだろう。「かつて持っていたものを死にもの狂いで取り戻すのだ」という欲望のたぎりもないし、かといって「江戸時代のようなエコロジーで身の丈に合った社会に戻ればいいんだろ」というシニカルな割り切りもない。

政権与党は「成長戦略」をがなりたてるが、その「成長」の果てにいったい何が見えるのか、それが自分になにをもたらすのか。どうせなにも見えないし、もたらしもしないんだろうということに、多くの人が気づき始めてしまっている。

これから日本はいったいどこを目指すべきなのか、いや、そもそも何かを目指すことに意味があるのか、という問いの前でむなしく逡巡している、というのが現実の姿だ。もしかする と、もはや「国のあるべき姿」は永遠に答えが出ない問いになってしまっているのかもしれない。目標は「国家」としてではなく、成員個人個人がばらばらに見つければいいのだ、というふうに。

今まさに「おれは個人的に世界に通用するグローバルなスキルを身に着けるのだから、そもそも国のことなんか知ったことではない」という人も多い。そして、こういう行き方が現代の日本ではもっとも賢明な「市場価値の高い」人生観にもなっている。これは個人ではなく企業体においても共通している。

しかし、自分の国の対してすら、ろくな知識も見識も関心を持てないような人間や企業に、世界市場で通用する普遍的能力があるとは、自分には到底思えないのだが。