河内守悪事露見之件

 ようするに彼は、「全聾の作曲家」というキャラクターを現実社会の中で演じていた一種の「俳優」だったわけだ。そのキャラクター設定と演技力、さらには他者を巻き込むプロデュース力によって、社会的名声や(おそらく多大なる)金銭を得ていたという意味においては、かれは極めて有能な人間だったといえる。

(もっとも有能といっても「有能な詐欺師」という意味だが、世間的に「できる」視される人間は、往々にして詐欺師の風韻を持つものではある。)

自らの身体的障害をレバレッジにして、俗情をゆさぶる虚構の物語を構築し、技能を持つ他者の人生をからめとり、虚栄心の充足と物質的利得に結びつけることに成功した、という意味では、かつての某教祖にも似てる。(ついでにいえば風貌も)

なお、現実事象というものはすべて論理的に整合しているが、虚構のつじつまを合わせには大変な才能と知力と労力が要る。つまり、正直に生きるより、嘘に生きる方が「創造的」である分、心とからだの消耗が甚だしいものだ。

全聾すら嘘だったという話もあるが、もし本当は聞こえるのに聞こえないフリしていたのなら、それもずいぶん難儀なことだったに違いない。今は世間の風圧にもみくちゃにされそれどころではないだろうが、いつか「あの時バレておいてよかった」と思える日が来るのではないか。

「河内守」が世間でもてはやされているのを横目で見ていたとき、「全聾」と「被爆者2世」が売りなだけで作品のほうはどうせたいしたことないんだろうと決めつけていたが、すべてが計算ずくの演出だったと判ってみると、逆にそのほうがクリエイターとしての凄味を感じる。

「何を言ったって、結局はウソつきなんでしょ」で斬って捨てるのも簡単だが、自分にとっては、「創造的才能」と「社会的倫理」の相克といった永遠のテーマをいまさらながら考えさせてくれた事件ではあった。

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140206/ent14020615020004-n1.htm