ある死生観

 


「ぼくの座右の銘は「一寸先は闇」。いつか原爆の症状が出るのではないかという不安から、死と背中合わせに生きてきたので、徹底的な現実主義者になりました。
ぼくは、原爆地獄の中で、あまりにもたくさんの死体を見過ぎてきました。だから人間というものは、死ねば、ああいう死体になって、骨が残るだけ、なんとむなしいものだろうという、しらっと開き直ったような無常観みたいなものが、強烈にあるんです。
六歳であの地獄をみればねえ、人間がどうなるかってわかるわけです。
非常に冷めたものの見方をするガキになりました。冷ややかに物事を見る、そんな死生観が身につきました。
自分が死んだら、ああいう姿になるのだということが想像つくわけです。それが絶えずちらつくんですね。焼け焦げたいろんな死体が浮かんでくるんです。
虚飾の世界がみんなはげ落ちてね。
人間、あれでおしまいなのです。
だから達観してしまって、「わしもみんなのところにいくから席をあけて待っていてくれ」という気持ちだけで、葬式や墓参りといった儀式的なことは一切いらないと思うようになりました。ですから、おふくろやおやじたちの墓参りにも行ったことがありません。
先祖もくそもない。あの一瞬にして焼き尽くされた広島を知っているから、しょせん人間はこんなものよ、そんな感覚があります。
ぼくは、きんきらきんの仏壇も嫌いで、死者を悼むんだったら、なにも金箔できんきらきんにしなくても、各自が静かに心の中で悼めばいいと思っています。
原爆でたくさん人が死んで、線香もたいていたので、線香のにおいも嫌いです。」

中沢啓治(漫画家。「はだしのゲン」作者)

 

 

「(死は)大きな、大きな不安だよ、君。こんな大きな不安には誰にも追いつけっこない。医者だって、僕だって、とても追いつくことは出来ないよ」

井上靖(小説家)

 

 

「生きる気があるのかを試されている。普段はそんなことを考えなくても生きていける。病と対面して突きつけれられるのはそれだ。どこまで生きる気があるか、と。もういいや、という気もする。よほどやりたいことが残っていないと。なんかおもしろいことはないか、でやってきた者にはとくにこれが弱い。おもしろいことが見つからなくなると、途端に支えるものがなくなるからだ。頼りは好奇心か」

筑紫哲也(ジャーナリスト)

 

 

「九十年間生きてきて、僕はなにをしてきたんだろうという反省が、僕の中にあるんだね。職業を間違えたんじゃないか、とも思うようになった。僕は古い絵が好きでね。職業としてうらやましいと思うのは絵描きさん。優れた作品は数十年、数百年残っていくものね。こういうのが、人間の生き方なんじゃないかなあと思う。その点、僕のしてきたことなんて、なんだったんだろうと時々思う。残るものがない」

後藤田正治(政治家)

 

 

「幸せはしばしばうかうかと粗雑にすぎる。悲しみは心をきめ細かくししみじみと美しい」

宮崎恭子(女優)

 

 

マリコ、津慶、知代子、どうか仲良くがんばってママを助けてください パパは本当に残念だ、きっと助かるまい 原因はわからない 今5分たった もう飛行機には乗りたくない どうか神様助けて下さい 
きのうみんなと食事をしたのは最後とは 
何か機内で爆発したような形で煙が出て降下しだした どこへどうなるのか 津慶しっかりたのんだぞ 
ママ こんなことになるとは残念ださようなら 子供達の事をよろしくたのむ 今六時半だ、飛行機は回りながら急速に降下中だ 本当に今迄は幸せな人生だったと感謝している」

河口博次(日航機墜落事故犠牲者) 

 


   
「これまで肉体に対して、過剰な自信があった。手入れをしなくてもいつまでも健康でいてくれるもんだという。それは僕の文学にも見える。・・文学も含めて芸術は、生を鼓舞するもののはず。病気とか老いはその逆バネになるテーマだが、決して中心にせり上がってくるものではない。実際、病気をしていると、そんなテーマがごろごろ見える。でも自分はがんのことは書きたくない。・・がんは命を縮める。急速に老化を進めるということです。僕は谷崎潤一郎を念頭に置いて、彼のような老年の文学期がくると思っていた。年齢的にまだ大丈夫だと思っていた。そんな自分が、歯がゆい」

中上健次(小説家)