生きる意味とは


人間は、社会の中でお互いに「生きる意味」を与え合っているのであって、その枠組みからはずれた途端、人間は生きる意味を喪失する。「人間の生きる意味は何か」といった命題に直面している人間は、いま孤独であるのが通常だが、そんな不毛な場所でいくら考え込んだって、答えが見つかるわけがない。そして、見つからないから「人生に生きる意味なんて無い」という浮薄な結論に短絡する。

人間の生きる意味は対人関係の中で「しか」見いだせない。対人関係から隔絶した場所でいくら沈思黙考したって、それが見つかる道理はない。別の言い方をすれば、「人間の生きる意味」とは、「人間の生きる意味とは何か」などといった命題に捕囚されている間は、けっして見つからない。

人間の生きる意味とは自分以外の誰かの顔を眺めているときに、天啓のように見いだすものである。となれば、自分が他の誰かに生きる意味を気づかせ、与えることもできると考えるべきで、もしそれができたとしたら、自分にとってこれ以上大きく強い「生きる意味」はないような気がする。