2017年1月26日のこと

静岡への出張時、時間が空いたので地元の美術館に行く。静岡駅で素晴らしい富士山の絵(和田英作「早春」)を掲げた広告を見かけ、実物を見にいくことにした。

美術館は静岡近代美術館という。

 静岡駅から歩ける距離だと判ったが、道に迷うのもいやなのでバスでいくことにした。途中、駿府城址を見る。美しい石垣だった。駿府城は家康が「大御所」として隠然たる権力を振るった場所。石垣と濠が残っているとは知らなかった。世に城マニアという人々がいるが、自分にも1%ぐらいその因子がある。

NHK前」というバス停で降りる。降り際、運転手さんに静岡近代美術館の場所を訊くが、知らず、そのやりとりを聴いていた中年の女性が、方角だけ教えてくれる。後で知ったが、この美術館は昨年末に出来たばかりで、地元でもまだあまり知られていないのかもしれない。

教えたもらった方角にてきとうに歩いていったら案の定道に迷ったが、かまわず散歩気分でうろうろしている途中、偶然目指す場所が見つかる。すこし大き目の個人邸宅のような建物だった。後で知るところによるとさる事業家の私設美術館とのこと。

入館時に靴を脱いて、スリッパに履き替える。靴を脱いで美術館に入るのは初めての経験かもしれない。なお自分は日本の、建物の中では靴を脱ぐ文化は合理的だと思っている。外で何を踏んだか知れない靴のまま家の中に入るのは不潔で不合理だと思う。

二階にわたる展示会場に掲示されている作品は数十点というところか。自分はかねがね、都会でしばしば開催される企画展は展示作品が多すぎるだと感じていて、もっと展示点数を減らしてその分入場料を安くしてほしいと思っている。

入館料は大人1,200円で、展示規模に比すれば割高のように感じた。しかし私設美術館を維持するにはこれぐらいは必要なのかもしれない。館内には制服姿の女子高校生が十数人おり、引率者らしき男性もいて、美術の授業の一環か、部活動で訪れているのだろう。

館内にはその他の入場者もいて、中々盛況な印象を受けたが、もしかするとオープニングセール期間中特有のにぎわいなのかもしれない。個人の趣味で運営しているのなら話は別だが、あらゆる仕事と同様、いかにリピーターをつかむかが、持続の要諦ではある。

館内ではある老人が、展示作品にガラスを被せてあることに不満を述べ立てていた。たしかに、これまでの自分の経験の範囲では、作品にガラスを被せてあるのはあまり見たことはない気がする。ガラスは光でてかるし、油絵は絵の具の盛り上がりも鑑賞の対象だから、老人のいうことも一理ある。

ただ、自分はそういうたぐいのことはいいたくない。そういうことは、口にするのは恥ずかしいことだとも考える。雑音だらけの蓄音機で聴いても名曲は名曲だし、ガラス越しに見ても名作は名作である。

いいなと思ったものが十点ぐらいあった。金山平三の「十国峠の富士」。これは現地で早描きしたものではないだろうか。その分腕の冴えわたりが露骨に出ている。絵を描く速度と腕前はほぼ比例する。楽器の演奏と同じで、作品を仕上げるにあたって「迷い」はマイナスにしか作用しない。


その他に、いいと思った作品は以下の通り。

刑部人「断崖 犬吠埼
小山敬三「初夏白鷺城」
須田国太郎「阿蘇夕照」
小磯良平「踊り子」
和田英作「早春」「蘭花
梅原龍三郎「薔薇図」
コロー「サントゥーアン島の渡し守」
佐竹徳「陽の海」
金山平三「百両橋上流」

歩きで帰る途中、駿府城の前に石碑が立っているのに気づく。立札によると「教導石」というもので、向かって右面には「尋ネル方」、左面には「教エル方」との文字が刻みこんであり。右に質問を書いた紙を貼ると、左に誰かが回答を貼りつけると言う仕組みで、いわば明治時代のヤフー知恵袋のようなもの。

JR静岡駅で土産もの店に寄ってから新幹線に乗る。子供に静岡とはあまり関係のない「すみっこぐらし」の小さいぬいぐるみを買って帰ったら、えらくよろこばれた。