腹が立つということ

なにかひとに言われて腹が立つということは、その言われたことが、多かれ少なかれ、的を得ているからだ。
例えば、もし、身長2メートルの ひとが、「おまえ、チビだな」と言われてもなんの痛痒も感じないだろうが、微妙な身長のひとならば、多く場合、いたく立腹するだろう。
自分は最近、自分のことを指摘されて、内心腹を立てたとき、もう一人の自分が「だって、当たってんじゃん。本当のことじゃん」と呟く声が聞こえる(ような気がする)。
これは腹を立てたという感情の波をうまく鎮める方便であるような気もするが、実際に、その感情から自分の内面や外的な状態を観照する良い機会になっている。
なぜ自分は、他者からこういうことを言われて、こいういう具合に腹を立てているのか。相手の意図はともかく(人の思惑など詮索してもなんの利益もない)、自分が腹をたてている現象には、本質的にはどんな意味があるのかを考えるのは、やっかいだが、さまざまな意味において、省察の起点になる。

一般にいって、人間は腹を立てるとバカになる。どんな知的な人でも、腹を立てると目が眩み、判断が歪む。腹を立てているその事自体が、人間の知力を低下させるのであり、そういったネガティブな作用が大きい感情から遠ざかることは必要だが、そういう感情がわいてきてしまったら、時すでに遅いので、次にその感情からなにかを拾い上げることに努めることが必要だろうと思う。