薄汚れたリアリズム

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Theodor Philipsen

 あるお笑いタレントが、アイドルに向かって、冗談混じりにいわゆる「枕営業」をすすめるような発言をテレビ番組の中でしたことが物議をかもしている。昨今の社会の空気では、この手の「物議」も大したムーブメントにはならずに、いずれは立ち消えていくのがオチだろうが、スキャンダルがスキャンダルとしてまとも騒がれず、すぐに何も無かったかのように忘れ去られていく現象は、日本だけでなく、今、世界共通に観られるものだ。何かが決定的に緩み、そして歪んでいる。

世界中のこそかしこで、常識が非常識になり、非常識が常識になり、石が流れて木の葉が沈むようなことが、絶えず起きている。

ものごとを裏側から観て、それを現実主義者然として説く人に投げかける諫めの言葉に、「身も蓋もないことをいうな」あるいは「それをいっちゃあ、お終いだ」というものがある。この言葉が意味するところは、そういった「リアリズム」には、人間を鼓舞するもの、希望を喚起する沃野はどこからも開けず、その先には、ただひたすらな思考の荒野、感情の砂漠しか広がっていないから、そういうことを言うのは意味がないからやめろ、ということである。

地球に空漠たる荒野があるように、社会に薄汚れたリアリズムがある、今さらそんなことをいくら「見抜いた」ところで、追従者たちの下衆な笑いがとれる以外、何が生まれるわけでもない。「鋭い観察」の先に絶望や寂寥しか見つからないならば、観察などはじめからしないほうがましだ。