宮本武蔵 「枯木鳴鵙図」


宮本武蔵には、剣豪としての顔と、すぐれた美術家としての顔と、著述家としての顔の、三つの顔がある。

この多能ぶりに「宮本武蔵複数人説」もあるぐらいだ。そういいたい気分はわかるが、複数の人間をわざわざ一人に収斂するメリットも思い浮かばないので、恐らく「宮本武蔵」は一人の人間であり、生身の彼は、実際にいろいろなことがダントツでできた人なんだろう、と思う。

当時、競技性のあるスポーツといえば、ほぼ剣術しかなかったから、当世風に言えば、彼は、プロスポーツ選手としての顔と、アーティストとしての顔と、エッセイストとしての顔を持っていた、ということになろうか。

近現代において、この三つの顔をハイレベルで備えているひとは見当たらない。世界を眺めまわしてみても、おそらく、そんな人はいないのではないだろうか。

プロスポーツ選手が能弁な演説家や文章家になる例は少なからずあるし、すぐれたアーティストが読ませる文章を書くケースも散見するが、一流のスポーツ選手と一流の美術家が一人の人間の中で並立しているケースは稀有である。絶無であると言ってもいいと思う。

スポーツも美術も、一流になるには、もって生まれた才能に加え、その道の上達メソッドに即した一定の肉体的訓練が必要なので、人生の限られた時間の中で、両方の能力を同時並行的に高めることはほぼ不可能であるのだが、一人宮本武蔵の中では、その「不可能」が現実になった、としかいいようがない。

彼は五輪の書でこんなことを述べている。
「おのずから道の器用ありて、天理に離れざるが故か、または他流の兵法不足する所にや、その後も深き道理を得んと、朝鍛タ錬して見れば、おのずから兵法の道にあうこと我五十歳のころなり。それより以来は、尋ね入るべき道なくして光陰をおくる。兵法の理にまかせて、諸芸諸能の道となせば、万事に於いて我に師匠なし」

「自分にはもともと剣術の才能があり、その才能のおもむくままに取り組んでいたら五十歳で道の極意に達してしまい、以後やることがなくなった。退屈なので美術などしてみたが、剣術で体得した理合を応用すれば造作なく、すぐに自分を教えられる先生もいなくなった」と言っているのである。

こういった口吻から武蔵の高飛車なパーソナリティを読み取って面白がるのもいいが、もっと興味深いのは、彼が「剣術の理合を、諸芸諸能の道に応用している」と、その秘訣を開陳しているところだと思う。

つまり彼は、剣術で得たコツや呼吸やリズム感を美術製作にも応用したから、両道において、ともに一流の領域に達することができたのである。すくなくとも、彼自身はそう自覚している。

彼が美術製作のどの場面において、剣術の理合を援用しているかを知るのは、さほど難しいことではない。たとえば、この絵の画面中央を分断している枝ぶりの、まるで躊躇というものが見られない、一気呵成ぶりには、剣道の打突の呼吸が顕れている。(ぜひ武蔵の画を参照されたい)

一流の成績をコンスタントに挙げる野球のバッターやプロゴルファーのスイングには迷いがないが、同じように彼の筆さばきにも、まったく逡巡も無駄もなく、画面は、はっきりと事前に曲線や強弱や速度がイメージされた、必然性のある運筆で構成されている。

武蔵と同レベルの運筆上の合理性や敏捷性を発揮しているのは、日本絵画史上では、自分が知る限り、長谷川等伯雪舟などごく少数に限られるが、ひょっとする武蔵の目からは、等伯雪舟が剣術の理合の援けも借りずにあのレベルの絵を描いていることの方が、よほど驚くべきことに映るのかもしれない。

なお、枝の中央付近にタテに張り付いているのは、芋虫あるいは毛虫である。だからこの絵は、上段から鳥が獲物を狙っている図として解釈されるが、芋虫の緩慢な動きと鳥の敏捷性ではもとより勝負にならず、いずれ芋虫は鳥に食われる運命にあるのだが、この圧倒的なゼロサムの図式は、剣術の試合における武蔵と対戦相手との力関係を暗喩しているとも考えられる。

武蔵は1対1の剣術の試合や、1人対1枚の美術の現場や、1人対1巻の文学の世界では圧倒的な力量を持っていたが、壮年から晩年にかけて、彼が芯から欲していたのは、複数人数で多人数を操る政治的な野心だったらしい。

彼は五輪の書において「1対1の戦いのメソッドは、多数対多数の合戦の場でも応用できる」という意味のことを繰り返し述べているが、結果論から言えば、彼が体得した剣術の理合は、望んだほどの政治的な立身出世にはつながらなかった。

個人的には、たんなる刹那の浮き沈みに過ぎない政治的な成功よりも、おそらく永久不滅の書になる「五輪の書」を遺した生涯の方が、よほど価値があると思うが、彼自身はどう思っていたのだろうか。

「君子は器(専門技能者)ならず」という価値観が基調底音になっていた時代空気に、いかな天才武蔵といえども、抗うことができなかった、ということだったのだろうか。