無意味な努力の累積

「人は凡そ明瞭な苦痛の為に自殺することはできない。繰り返さざるを得ない名附けようもない無意味な努力の累積から来る単調に堪えられないで死ぬのだ」

これは小林秀雄の「Xへの手紙」という文章の中にある言葉だが、自分はこの洞察は真実だと思う。かの電通の女性社員は「繰り返さざるを得ない名附けようもない無意味な努力の累積から来る単調に堪えられないで」自殺した。つまり残業時間とは「累積」に要した時間に過ぎず、ことの本質は、彼女が「無意味な努力」をしていたことにある。

「無意味な努力」とは、本人が何の悦びも満足も得られず、(多少の残業手当以外)物質的利益もなければ、未来の展望もまるで開けない営みのことである。

労働者が、非人間的な苦役に身も心も病んでいくのはかつての産業革命期にも見られた社会現象でもあり、その意味においても、現代はまぎれもない産業革命の時代なのだろう。

亡くなった電通の女性社員が従事していたウェブ広告業は、その見かけのハイテクさとは逆さまの労働集約型事業で、業界リーダーの電通ですら、その救われない底なし沼に苦しんでいる。

人間の負担を軽くし、生活を豊かにするために出現するテクノロジーは、人間の労苦を増大させ、生活を摩耗させる方向にも働く。この様相は、ウェブ広告しかり、原発しかりで、今をときめくAI(人工知能)も御多分に漏れないことが、いずれ明白になる。

AIは人間の既存の仕事を奪うだろうが、新たな「仕事」も生み出す。それは、AIの誤った判断や、誤作動、プログラミングのミスで生じるトラブルの尻ぬぐいである。

それでも、まだ人間が尻ぬぐいできるうちはマシで、いずれAIの起こしたトラブルはAIでしか解決できないようになり、ここに至って人間に残された仕事は「祈る」だけになる。これはある意味、大自然の猛威の前に御祈祷以外なすすべもなかった原始時代への回帰である。

世に喧伝されている「AIを搭載したロボットが人間に歯向かうSF的世界」より、AI祈祷師やAI教祖に人間が振り回される世界の出現の方が、早い気がする。