江藤淳「妻と私」

  故江藤淳に、「妻と私」という本があり、久しぶりに再読した。これは著者の長い執筆生活で、もっとも売れた本らしい。売れゆきがよかった本だから「いい本」とは言えないが、いい本の判定指標として「売れ行き」という一項目はあっていいと思う。

「妻と私」には、著者にとって切実な事実と、それを巡る心の真実しか書いていない。当然ながら、それまでの江藤淳の著作にも事実も真実も在ったと思うが、この本は、おそらく過去の彼の著作群や、保守論客としての言説とは「切実さ」において隔絶しており、だからこそ「もっとも売れた本」になったのである。

「妻と私」は、江藤文学の集大成として成立したのではなく、著者の文学キャリアとはまったく別の場所で生成し、屹立しているのである。おそらく100年後の江藤淳の名は、「文芸評論家」としてよりも「妻と私」の作者として残っているだろう。

この本の全体を覆う切実なトーンは、ある意味文学的ではないといえるほど陳腐である。そこで描かれているのは、著者にとって母であり兄妹であり娘でもある、とにかく全てであった妻の死がもたらした決定的な心身への打撃と、情け容赦なく深刻さを増してゆく自身の病魔がもたらす絶望である。

自身にとって極めて大切な人が死に、受け入れがたい打撃を受ける。襲いかかる病魔によって、耐えがたい苦痛をこうむる。今も昔も、人間の身の上ではそんなことばかりが起こっている。「妻と私」で描かれているのは、人類が何万年もの間、否応なしに対峙してきた「生・老・病・死」の諸相である。

そして「ありふれている」ことは現実を少しも楽にしない。人間の苦しみというものは、ありふれていればありふれているほど、陳腐ならば陳腐であるほど、深刻なものである。

江藤淳は、このありふれた打撃と陳腐な絶望を、言葉に移し替えることによって自分自身を救おうとした。しかし、いかに上手を移し替えたところで、おそらく彼の苦悶は少しも軽減されなかったのである。

「書くことで癒される」苦悩などたかがしれたものだ。彼が長年蓄積してきた知識や教養も、保守論客として培った鋭気も、強靭な筆力も、この期に及んでは何の援けにもならない。彼の発する言葉は、周囲に充満する苦痛のほんのわずかな空隙から外に逃がした叫び声に過ぎす、そして、その声を上げることは、彼をちっとも救わなかったのである。

この本を書いたほぼ直後に江藤氏は自殺をしており、文字通りこれは「遺書」だ。「妻と私」は評論家として世過ぎをした江藤淳が書いた、最初で最後の小説(私小説)なのかもしれない。となれば彼は、評論家として生き、小説家として死んだ文学者だった、といえるのかもしれない。

保坂和志によると、江藤淳が死んだのは1999年7月21日で、この日の東京は夕方から雷雨だった。保坂は、江藤淳が自ら命を断ったのはこの気候が引き金になったとの自説を述べている。

ありそうな話で、実際真実を指摘しているのかもしれないが、同時にこんなことも考える。「天候の悪化」は自殺のトリガーになったのだろうが、それ以前に、弾丸は装填され、安全装置は外されていたのだ。もし7月21日が雷雨でなかったとしても、そのトリガーが引かれるのは時間の問題であり、その日は「快晴」だったかもしれないし、「降雪」であったかもしれない。