ダンサー

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 日本は原爆投下の直後に降伏したから、「原爆が終戦に導いた」かのようにも見えるが、事態は全く異なり、あの段階において、日本の敗戦は日米両国の首脳において既に規定事実であり、日本側は敗戦後どう国体を維持するか、アメリカ側は戦後どうソ連を抑え込んでいくかに関心の中心が移っていた。原爆の投下は、アメリカにとっては、ソ連への示威行動と、核兵器の実地実験(惨い言葉を遣えば人体実験)という色彩が濃く、

つまりアメリカは、なんとしても戦争を終わらせるために原爆を投下したのではなく、戦争が終わる前になんとしても原爆を投下しておきたかったのである。

                

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愛国心を鼓舞することを目的にし、「日本国凄い、日本人偉い」テーマにした「日本通史」の本が出て、これが結構売れているらしい。

過去にも「皇国」や「マルクス」といった「史観」を携えて書かれた歴史が世間を賑やかし、そして消えていったが、人間は、同じことを何度繰り返せば気がすむのだろうか。「歴史は繰り返す」とはまさにこの事ではないか。

 

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安倍晋三には思想はなく、たんなる情動的な反左翼でしかないことが、ようやく安倍支持層にもわかってきたようだ。でも、今さら遅いような気もする。もうほとんどの安倍氏の負の「レガシー」は取り返しがつかないところまできている。しかし、安倍氏自身はおろか、支持者も取り巻きも、誰一人としてその責任をとろうとしないだろうし、沈没しかけた舟から逃げ出すネズミよろしく、さっさと彼を見放して離れていくだろう。元支持者であろうが、従来からの反対者であろうが、自分の身は自分で守らなければならないことには変わりはない。自分の身は自分で守らなければならないことばかり考えている視野狭窄した人間たちが、国の将来のことなど考えていられるわけがない。つまり安倍氏は日本人の本然として備わっている愛国心すらも崩壊させたのだ。

 

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試合があるから練習する。テストがあるから勉強する。これは動機としてわかる。

では、試合がなければ練習しないのか、テストがなければ勉強しないのか。試合が無いのに練習する、テストが無いのに勉強する動機は、それをすること自体が好きだ、つまりすること自体に生理的な快感があるという場合と、それをしなければなんだかマズいような気がするという動機に分かれると思うが、後者の場合は、それをしなくてもマズくないような条件が整えばすぐにしなくなるだろうから、試合やテストのケースに近いような気がする。試合やテストを目的に練習や勉強をするのならば、試合に負けたり、試験に落第したりしたら、その努力の多くが虚しくなりかねない。そうではなくて、それをしていること自体が楽しくもあり、ときに苦しくもあるだろうが、とにかく人生の果実になるような時間の過ごし方が、真に有益な取り組みなのだろう。そういう時間をいかに長く過ごしたかが、本質的に「成功した人生」だといえるのではないだろうか。