切り離す道具

 外食後に入った喫茶店で、ある若いカップルがいた。女性の方が色々話しかけているのだが、男性の方はうつむいてスマホばかりいじっていた。年代を問わず、当世のカップルでよく見られる風景である。

ひと昔前なら、会話が途切れ、手持無沙汰なとき、多くの男はタバコに火をつけた。男性の喫煙率が下がっただけでなく、今ではたいがいの場所が禁煙だから、そういう小道具も使えない。ただ、スマホをいじる行為は、目の前にいる相手とは別のコミュニケーション回路に没入することとほぼ同義だから、タバコとはかなり趣が異なる。

お互い様なのかもしれないが、デート中にあんまり相手がスマホばかりいじっていると、侮辱されているような気にならないのだろうか。すくなくとも、目の前にいる自分より手元のスマホのディスプレイに映っているコンテンツの方が見る価値があるのだな、と思われても仕方ないだろう。

現代の恋愛においてはスマホは欠かすことができないコミュニケーションツールなのだろうが、実際に相手が目の前にいるときは、全く逆の、その関係性を壊してしまう「ディス・コミュニケーション」ツールに姿を変える面がある。

途切れた会話の糸口を探すためにスマホにすがるということもあるのだろうが、会話の糸口など、探そうと思えば目の前にある塩やコショウからでも見つかるものだ。もっとも、塩コショウの話を延々としても怪訝な目で見られてしまうだろうが、「塩やコショウをネタにしてまでも自分と話がしたいんだ」という気持ちは伝わるだろう。

以前仕事で付き合いがあった男性から、今の奧さんと付き合う前に「自分は無口だからデート中にはほとんどしゃべらない」と宣言した、という話を聞いたことがある。こう言っておけば、デート中に男性がどんなに黙りこくっていても女性は余計な心配をする気遣いはない(のかもしれない)が、スマホの場合は「自分はスマホ依存症だからデート中も黙りこくって始終スマホをいじるがそれでもいいか」と宣言したら、多くの場合、交際そのものがご破算になるだろう。

「私たちの仲は相手がデート中にスマホをいじっているぐらいでは壊れない。ほっといてくれ」という自信があるのかもしれないから大きなお世話だが、スマホという文明の利器は、容易に人々をくっつける代わりに、簡単に人々を切り離すツールであることは間違いないと思う。