意思を顕し、そして通した偉大さ

f:id:kirinta8183:20190501203921j:plain

「退位礼正殿の儀」で天皇として最後のお言葉を述べられる陛下

 元号が新しくなった。この改元は、新しい天皇が即位するというよりも、憲仁天皇陛下美智子皇后陛下が退位するという意味あいの方が自分にとっては濃い。

自分は、生まれ育った「昭和」への愛着が強く、「平成」へは改元当初から違和感を抱き続け、ようやく受け入れかけたところに「令和」になった、という心地がする。おそらく新しい元号に自分が親和する時はこないだろう。

被災地や戦災の地を訪れるアクションは平成の天皇の発案だった。子供を自分の手元で養育するのは、美智子さまが始めたことであり、皇后はその豊かな資質を発揮して文学や音楽などの芸術活動にも踏み出し、ほぼ儀式と儀典の範疇にとどまっていた従来の皇族の行動半径を大きく広げた。天皇陛下皇后陛下が、ここまで自分の意思を明確にし、そして行動に移した例は、中世の後醍醐天皇以後、ほぼ皆無なのではないか。振り返ってみれば、画期的な方たちであり、御代だったのである。

維新以来、明治・大正・昭和は、息つく暇もない戦争の連続だった。平成の三十年間、日本が「国権の発動たる戦争」をしなかったのは、国際情勢や地政学上の理由もあるが、国内に敗戦の辛酸を舐めた年代層が多く存し、その記憶が暴走へのクビキになっていた面も無視できない。

林房雄が述べたように「一時代の戦争を生き抜いた者だけが次の戦争を欲しない」のであれば、戦争体験者が根こそぎ絶える「令和」は、それだけ戦争への心理的ハードルが低くなる時代でもある。そんな時代を迎え、日本生き延びていくために新天皇が果たされる役割は、平成の天皇陛下以上に大きいと思う。

明治以来初めての生前改元の実現も、平成の天皇の退位の意思が明確になったのきっかけになった。皇室にまつわるあらゆる面倒ごとを回避する現政権はこのメッセージを天皇の「政治的発言」と位置づけスルーしようとしたが、政権の意向に反し、このメッセージは世論を大きく動かした。

皇位」という多くの制約を受ける立場にいながらも、その意思のもとに行動し実現できることが少なからず在ることを示し、また次代に向けて意思を通すための丹念な地ならしをしたのが、平成の天皇・皇后両陛下だった。新天皇皇后両陛下は、この先代の果実を活かし、ご自分の意思のおよぶ範囲をどんどん広げてほしいと思う。

「そんなことをしたら戦前の天皇主権の再現ではないか」という声には耳を傾ける必要がない。「主権」を持っていたはずの戦前の天皇には、逆に、平成の天皇ほどの「自由」はいっさいなく、そのことが軍部などの時の政治権力者による天皇の政治的利用を招いた。戦前に、国家の様々な意思決定の場面における「天皇の意思を尊重する」政治風土と権力スキームがあったら、あのような戦争の惨禍は起こらなかったと思う。

新しい天皇陛下には、偉大なご両親譲りの、筋金入りの護憲主義者であり、平和主義者であり続けることを願いつつ、それを機会あるごとに明確に表明していただきたいと思う。また、皇位継承に関する問題は、選挙を睨んだ日和見しか行動原理がない政治家にまかせてはいられないステージにもはや入っているので、この点でもご自身の意思を明確にしていただければと思う。

常人の想像を絶する重責を背負うことになる新天皇・皇后両陛下には、願わくばご自身の地位を、そしてご自身に割り当てられた宿命を、少しでも楽しんでいただきたいと思う。そして、平成の両陛下がさまざまな苦難と悦びの末に今おそらく深く味わっておられるような、大きな満足感と安堵感とともに皇位を去られる日が来ることを祈る。

 

 

==============================

天皇陛下「象徴の務め難しくなる」 お言葉全文

2016年8月8日

 

戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。

私も80を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。 

  
 
 

 

本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に80を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉(しゅうえん)に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2カ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることはできないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。

国民の理解を得られることを、切に願っています。