沢田研二と兼好法師

 沢田研二が、9,000人収容の会場に7,000人分しかチケットが売れていないのを理由に、コンサートを開演直前に取りやめたという。

沢田研二ほどの大スターが、日頃どんな価値観を抱えながら生きているのかは、自分の想像の及ぶところではないが、内心のプライドがこのままコンサートを開くと引き裂かれることを避けるために、こんな行動に出ざるを得なかったのだろう。

社会や周囲からどんな反作用が起きてもそれを独りで受け止める覚悟の上で、一切の同情や甘えを排しての選択だろうから、このコンサートのチケットを買って会場まで足を運んだ人や準備をすすめてきたスタッフ以外、彼を責めることはできないだろう。

ただ、沢田研二は観客をどこまでもマクロ的な大きな塊としてとらえており、一人ひとりが独立した小さな人間であることを、どこか置いてきぼりにしている、という気がしてならない。たとえ観客席には大きな空席地帯はあっても、会場に訪れた人々一人ひとりのコンサートへの期待には、一寸の空隙もないはずだ。

徒然草に「教養ある人は、大勢の人の前で話す場合でも、その中にいる一人に向かって話しかける」という意味の段があるが、観客を集団でなく個人として捉える観点が彼にあれば、極端な話、一人でも聴衆がいればその人に向きあって歌を唄っただろう。

・・・とはいえ、話は戻るが、やはり大スターとして何十年も生きてきた人の心理や論理は自分の想像を絶しており、結局は「おれがとやかくいえる筋合いではない」という心境に落ちつくのだが、ファンを「聴衆」としてマクロ的に捉えるのか、「聴者」としてミクロに見るかで、演者には、目の前の事態がまるで違って見えてくるであろうということを考えたので、書き留めておく気になった。