根が張り、幹が伸び、枝が分かれ、葉が茂る

 自分の描く木がどうも嘘くさくてこのところ悩んでいたが、理由がわかった。

樹木には根があり、幹があって、そこから枝がわかれ、その先の方に葉が着いているが、絵もその順序通りに描くべきだったのだ。有り体に書いてみればバカみたいだが、どうもそういうことらしい。

自分の場合、樹木を葉のカタマリのように見る癖があり、そのカタマリの中に、それを支えている幹や枝があることはあまり意識していなかった。樹木に、根や幹や枝があることは情報としては知っていたが、身に沁みて理解してはいなかった。

木を描くのに基本構造を意識する必要があるのは、人間の体を描くときに、骨格や筋肉を意識する必要があるのと同じだろう。

「木を見て森を見ず」の逆で、自分は「森」を見てばかりいて「木」を見ていなかった、ということになる。もちろん、画面に枝の一本一本、葉の一枚一枚を再現するのは無理だし、そこまで込み入った描写をしてもあまり意味は無いだろうが、存在に気づいている上で簡略化するのと、存在に気づいていないので描かないのとでは、出来栄えに雲泥の差が出るにちがいない。

今回は、そのあたりを注意しながら描いたのだが、ふとした隙にまたカタマリ視点で見ている自分に気づく。もしかすると、これは子供時分からの身に沁みついた、自分の植物を見るときの癖かもしれない。

風景画を描く前に、一本の木や一輪の花をデッサンする練習から取り組んだ方がいいような気がしてきた。(昭和記念公園 2018年7月29日 約3時間)