いじる人、書く人
スマホをいじるひと
ある喫茶店にて。
罪にはならないだろうが、気づかれればいい気はしないだろうし、悪くするとトラブルになるかもしれないから、かなり遠い場所に座っている人をモチーフにして、あまりジロジロ見ないようにして描いたので、細部にはかなり想像が混じっている。
ただ、これは自分のたんなる癖かもしれないが、細部がよく見えず、しかもたえず動いている対象をモチーフにする方が、かえって描き易い。
逆に、細部がよく見え、まったく動かない写真をモチーフにすると、「相手」のペースにはまってしまって受け身になり、描いている時間があまり楽しくないことがある。
そうならないためには、たとえ写真をモチーフにしたときでも、「見たままにはけっして描かない」という心がまえを持つようにしている。
現実をただありのままに写し取るだけだったら、性格が律儀か、性質にフェティシズムがあれば足りるだろう。しかし、その作品にほんの僅かでも芸術の香気を漂わせたいのだったら、そこに創造がなくてはならない。
創造とは、まだ無いものを作るか、欠けているものを補う営為のことでもあり、すでに有るものを複写したり移動させる作業ではない。
リアリズムの荘厳さは尊重する。しかし、リアルの奴隷になってはつまらない。