チグハグでトンチンカンな時代

仮想通貨取引所大手のコインチェック(東京・渋谷)が顧客から預かる約580億円分の仮想通貨「NEM(ネム)」が流出した問題で、NEMを保有していない顧客を含めて資産が失われる可能性があることが27日、分かった。被害が拡大する恐れがある。(日経新聞2018年1月27日)


 貨幣の機能は、①交換 ②貯蓄 ③尺度 の三種類あると言われるが、仮想通貨は、①の機能は半ちくで、②としてはさっさと盗難に遭うし、③としても不安定過ぎる、ということで、ほぼ貨幣の体をなしていない。ただ「投機」のターゲットとしてのみ機能している。将来はさておき、現状はこうである。

「円が買われる、ドルが売られる」ようなノリで、どこの誰も保証してくれない仮想通貨が売買される状況を「絶対おかしいが、しかしこれに乗じれば一儲けできる」と踏んだ人は、一年ぐらい前に買って、すでに売り抜けて大儲けしており、昨今の狂騒曲を余裕しゃくしゃくで高見の見物をしているのだろう。

売る方も買うほうも商品がなんなのかよく知らないままに取引しているうちに、どこかのだれかに盗まれて、なにをどうしていいのかわからない状態・・ありていにいえば、そういうだ。

こういう世の中では、銀行口座の預金残高や、所持している株や債権の電子データが、いつの間にか消えていたり、ゴッソリ盗まれていたり、なんてことが起きてもちっとも不思議ではない。

現在億単位の札束が入る家庭用金庫が爆発的に売れているのは、マイナス金利のせいもあるが、財産のデータ化に本能的な危険性を察知している人が多いからではないか。その一方での真逆の高額紙幣の廃止論も喧しく、これを主張しているのが主に社会的成功を収めている「勝ち組」(富裕層)であるという、この世相のチグハグさ。

「全てのモノやコトがインターネットでつながるIoT社会」を夢見ていながら、ならずもの国家の電磁パルス攻撃で社会インフラが壊滅して、人類の生活は「石器時代に戻る」という悲観論が横行している現実もそうだ。じつにトンチンカンな時代である。池上彰先生には、ぜひこのあたりを「わかりやすく」説明してほしいものだ。

いったい人類はどこに向かっているのだろうか。何千年に渡ってつぶやかれてきた陳腐な感慨だろうが、いま、本当にそう思う。

仮想通貨という「モノ」自体よりも、その基盤になっているブロックチェーンという「システム」がすごいんだ説があるが、そのシステム参加のモチベーションになっている「マイニング」には膨大な電力というやっぱり「モノ」が要るという現実が、今後顕在化してくる。

相撲取りが身体づくりをするためには鯨飲大食が必要なように、IT社会を維持拡大するには膨大な電力が要る。逆にいえば、この「ネック」がバーチャル社会の野放図な拡大の歯止めとして機能するかもしれない。

仮想通貨に話を戻すと、これが投機商品として喧伝され始めたのは二年ぐらい前の話で、普通に新聞や雑誌を読んでいれば、そのことには誰でも気づくチャンスはあった。実際に、その時に資金を注ぎ込み、急騰時にさっさと売り抜けて膨大な富を掴んだ人々も少なからずいるだろう。投資センスとは本来そういうものだ。

流行に乗って仮想通貨を抱え、今目を白黒させて、右往左往しているような感度の低い人は、もともと投資など向かない人だ。しかし、こういうカモネギ風情のお人よしが「食い物」になってくれているから市場は「活性化」するわけだが。

こういう世相になってくると、賢人バフェットの投資の奥義である「誰かがこぞって買っていても、自分がその価値の本質を十全に理解できていない商品は買わない」という鉄則が、ますます存在感を高めていくだろう。不易は強靭で、流行は脆弱だ。

「自分が価値を理解できない商品は買わない」というバフェットの投資哲学は、「株式市場は美人コンテストである」と喝破したケインズの市場観とは若干のズレがあるが、この二つの考えに通底していることは「その人が美人だと世間が評価した理由」をきちんと理解することの重要性だろうと思う。

目を見開いて、しかと現実を見る。本質を掴む。これが重要だが、もっともその目が「節穴」だったらどうしようもない。