忘れられない言葉

 妙に忘れることができない言葉というものが自分にはいくつかあり、その一つに、小泉信三著「海軍主計大尉小泉信吉」の中にある、「あの時死ぬべき子でした」というものがある。

この言葉は、小泉信三の長男・信吉が、海軍中尉として出撃した南太平洋で戦死し、その報に接したときに彼の母親が夫に言った言葉だ。

「あの時」とは、小泉信吉が、死に瀕するほどの未熟児として生れた時をさす。のち、彼は人並み以上に壮健な青年として成長、慶応大学を卒業し、三菱銀行に勤務したのち、海軍に志願して出征、25歳で戦死する。

「あの時死ぬべき子でした」
自分はこんな痛切な悲しみの言葉を他に知らない。多くの親にとって、子供の命は並ぶものがない極大の価値を持つ。比喩ではなく、自分の命ですらこれに並ぶことはできない。

これは、命が「鴻毛」の目方しかなかった戦時中であれ、人権や社会保障に包まれている現代であれ、変わることはない人間の心の真実だ。息子戦死の悲報に接した母親は、大っぴらに悲嘆を露呈することが憚られる世情の下、「初めからいない方がましだった」という一見虚無的な言葉に、巨大な喪失感を逆説的に滲ませたのである。

人間の吐く言葉には、見かけと内実が一見食い違っていることがままある。たとえば小さな悲しみは叫び、大きな悲しみは沈黙するように。そして往々にしてそのギャップの深さがエモーションの深さに呼応している。自分にとってこの言葉はそのたぐいのもので、だからいつまでも忘れられないのである。