東芝が陥った煉獄

 ウェスチングハウスが米国の原発の完成を放棄して撤退すると、発注元である電力会社に8000億円からの違約金が発生するしくみらしい。そしてその負担は、親である東芝がまるごとかぶることになる。

つまり今東芝は、「進むも地獄、退くも地獄」の渦中にいる。弁慶の立往生さながらだ。

その煉獄の中で、一本足で経営を支えているフラッシュメモリーを切り離すことを決断した。今彼らは、フラッシュメモリーという子供を生き延びさせて、自分は溶鉱炉に飛び込んでいったターミネーターのような心境なのかもしれない。

不正経理という不実を、原発への注力という不正義で糊塗しようとしたツケをとらされている。「サザエさん」のスポンサーは白物家電を切り離した時に降りるべきだったが、そんな簡単な決断すらできなかった、あるいはそんなささいな判断すら下す余裕を失っていた。「窮すれば鈍す」とはこのことだ。

裸にむけば単なるサラリーマンの分際で、いっぱしの経営者気取りで「大胆な選択と集中」をした末路がこれだ。経営者に必要なのは、決断力でも発信力でもコミュニケーション力でもなく、ひたすら「千里眼(先を見通す目)」だけじゃないのか。でもこれが一番難しいのだ。いわゆる「海千山千」「歴戦のツワモノ」ほど過去の経験のとらわれるものだ。

廃炉や保守などの原発事業を継続し、社会的責任を果たす」なんて方針にリアリティがあるとは、おそらく言っている本人も信じていない。言っている本人も信じていない話を、周囲が信じる道理もない。もう東芝は意識的にせよ無意識にせよ、自壊する道を選んだのだ。

ただ、滅亡時に、なんら罪がない幼帝安徳天皇まで道連れにした「平家物語」のむごさを避けるため、あるいはそれが、聖書さながら「一粒の麦」になって、未来のお家再興もありうるという望みを託して、虎の子のフラッシュメモリーは切り離した、ということならば一種の美談めくが、実態はたんに銀行に有り金を吐き出させられ、身ぐるみ剝がされているだけだ。

誰も本質的な責任をとらないまま、何をしたらいいかまるで判断がつかない政治家や役人から見て見ぬふりをされたまま、19万人とその家族、および1万社におよぶ協力会社とその家族に、先ずその累が及ぶことになる。