紫煙という誤謬

 たばこを喫わなくても短命だった人もいるし、たばこを喫っていても長生きした人もいる。長生きした人にたばこを喫わなかったら更に長生きした保証もないし、短命だった人がもしたばこを喫っていれば更に短命だったという証拠もない。

人生80年時代と言われるが、今の80代が若いころの男性の喫煙率は8割を超えていた。にもかかわらず、この長命ぶりが示唆しているのは、ある病気と喫煙にはなんらかの因果関係はあるのだろうが、寿命と喫煙はほとんど関係がない、ということではないだろうか。

自分は十数年前に喫煙をたったが、その動機は、別に健康で長生きしたかったからではなく、薬物に依存して生活している惨めさに耐えきれなくなったからである。

たばこは仕事や人間関係などのストレスを解消する、と言う喫煙者がいるが、この認識は正しくない。たばこを喫うことで解消されるのは、正確には「たばこを喫いたいのに喫えなかった」ストレスだけである。

快感は欲望の充足によってもたらされる。逆に言えば、快感を得るには欲望を容れる器が要るのだが、「喫煙欲」は後天的にこしらえる新たな器に他ならない。

そして、人間の欲望は、いつでも痛みと悩みが道連れだ。新たな欲望の器を持つことは、満たされる快感を得ることと同時に、満たされない苦悩を生むことでもある。