温かい逃げ場

 出張先の最寄り駅のバス停で、バスが来るまでベンチに座って待つことにした。そのベンチは大人三人が座れる長さがあり、真ん中に三歳ぐらいの男の子が、その隣に母親が座っていた。

自分は空いている右端に腰をおろしたが、その直後に、男の子は立ち上がり、母親の向こう側に回った。母親の向こう側は男の子が座る余地はなかったはずだが、母親はスペースを作り男の子を座らせた。

おそらくこの男の子は、突然となりに座ってきた得体の知れない大人(私)と、隣り合わせに座ることを嫌がった、あるいは恐れたのである。

 これを見て自分は、危機を察したカンガルーの子供が、一目散に母親のおなかの袋に飛び込むシーンを思い出した。怖がらせた当人である私が言うのもどうかと思うが、こういった肉親やちかしい人によって、突然押し寄せてきた危機から護られた記憶の蓄積が、おそらく「信頼」というものの正体なのである。

 人間は、逃げ場を無くすことで強くも弱くもなる。他者に対して過度に攻撃的な人間のうち何割かは、ごく幼いころに、危機に瀕して逃げ込むべき「袋」を持たず、否応なしに独力で戦ってきた痛ましい子供時代を引きずっているのではないだろうか。