アベノミクス終わりの終わり

 政権唯一の足場だった株高がこうも揺らいでいる状況について、情緒的は反発以外の何も実のあるコメントができないのをみると「実は安倍晋三は経済がまったくわかっていない」という「トンデモ説」が事実なのでは、と思えてくる。

安倍氏はさきごろの施政方針演説で「アベノミクスGDPは28兆円増えました」なんて言っているが、金融緩和で円の価値が下がったのだから、GDPは増えて当たり前だし、ドル換算で日本のGDPを見れば、「アベノミクス」後のそれは逆に下がっているのだ。

いまや、政治においても軍事においても経済においても、安倍内閣を掛け値なしに支持しているのは、どんな社会階層であれ、知的には最下層に位置する人しか残ってないといえるのではなかろうか。

アベノミクス」の目的実現は、物価の上昇と労働者の賃金の上昇がセットになることが条件だが、価格は「売り手」と「買い手」の調整値で決まる流動的なものである一方、賃金は経営者の意思で決まり固定的なものだ、というところが決定的に違う。

だから、この二つはリンクしているように見えて、その実ほとんどばらばらの動きをする。連動するにしてもほとんど因果関係を検証できないほどのタイムラグが生じる。この決定的なギャップを甘く見ていたのは、安倍氏も御用学者も、民間の経済活動や企業社会が、どういうロジックや情念で動いているのかについて、なんの実感も持っていないからだ。

政権は、なんとかの一つ覚えの追加の金融緩和を日銀に暗に強いているようだが、日経新聞の報道によれば、日銀が公表した地域経済報告からは、(黒田総裁はともかく)その動きへの静かな抵抗が始まっているようだ。

金融緩和による円安誘導には、日本経済の凋落を一時停止させる時間稼ぎの意味しかない。その麻酔が聞いてる間に、経済の足腰を強くする手立て(つまり成長戦略)を打つべきであるのに、その間に政権が何をしていたのかというと、「憲法の解釈変更」と「集団的自衛権の行使を可能にする安保法制の整備」という火遊びだった。

もっとも、安倍氏は、この火遊びがしたくて首相になったのだから、むべなるかな、ではあるが。

今回の株安は、円安でコーティングされていた株高メッキが海外からの潮風で吹き飛ばされ、弱い日本経済の本当の姿が露呈されたに過ぎない。

株価の下落で生じたとされる公的年金の巨額の含み損の問題はもとより、この結末の責任は誰がとるのか。いうまでもなく、安倍晋三という一個人の素っ首など、なんの価値もない。しょせんは、誰がどう責任をとったって、とうてい追いつかないことではあるが。