うろうろした足あと

 久しぶりに小林秀雄の「私の人生観」を読み返し、今さらながら、卓見や名言がぎっしりつまっていることにびっくりするが、

そもそも、人間は、こんなに卓見や名言を連発できるものなのだろうか。この現象の正体は、その実、同じことを手を変え品を変え繰り返し述べているに過ぎないのではなかろうか。

おそらく注意を払うべきなのは、その「同じこと」の核心の強固さと、彼の語彙の豊富さなのである。

後者の、「語彙の豊富さ」は職業的当然としてひとまず置くとして、前者の「核心」が、まさに彼が論ずるところの「沈黙」であり、「読者の理解など断固として拒絶」している部分なのだ。

人間の言葉を操る力とは、「言葉にできないもの」をどれだけ深く抱えているかに拠る。「言葉にできないもの」の前では、人は沈黙するか、その周りをうろうろするしかない。

小林秀雄が書き遺した言葉は、そのうろうろした足あとであり、読者はその足あとから、彼の目の前にいったい何があったのかを、めいめい推し測るしか、なすことない。