地獄の釜の蓋

 吉祥寺の繁華街で、道ゆく人々のあかるい笑顔を見ながら、今ここで爆発や銃撃戦が起きたら、どういうシーンが展開するだろうか、と考えた。穏やかな日常の時間の流れに、突如地獄の釜の蓋が開いたようなあんばいになり、阿鼻叫喚の光景が現出されるだろう。

そして約1時間後、かの首相は「わが国は卑怯なテロリズムに決して屈しない。国際社会と連携して草の根分けても犯人を捜しだし、法の裁きをうけさせる」うんぬんといった、お定まりのセリフを、おなじみの口調でしゃべるだろう。

そして、その演説を聞いて「そうだ!これからは国民一丸となってテロと戦うんだ!」と決心する阿呆は、日本国民の1%もいまい。残りのまともな99%は、「取り返しのつかない状況になってしまった・・。これから日本はいったいどうなるんだろう」と先の見えない恐怖に襲われることになる。

その時、こういう事態を招いた張本人の顔が思い浮かばない知性は「どうかしている」と言ってよいだろう。

 個人や共同体が生き延びるためにもっとも賢明な手段は、「敵をつくらないこと」である。敵をつくれば、おびやかされる。精神は警戒し、肉体は硬直せざるをえない。そして、総体的なポテンシャルは低下して、「生き延びる力」は毀損される。

テロリズムが究極的に狙っているのはそこだ。テロリズムとは、その「滅び」のプロセスのスイッチだ。ただし、これはただのキッカケではない。たとえていえば「毒針」だ。チクリと一刺しすれば、あとは体(敵)が勝手に毒を全身に回してくれる。テロリスト側はそれを座して眺めていればいい。

この「毒」の主成分は「恐怖」という感情だ。この厄介な感情は、刃物や爆薬以上の威力で、共同体を衰弱と破滅へと追い込む。

一度の攻撃でせいぜい百人単位でしか殺傷できないテロリズムでは、直接国家を滅ぼすことはできない。しかし、大都会のド真ん中で数百人を無差別に殺傷することは、国家全体を「恐怖」の渦に巻き込み、「警戒」と「硬直」で国全体のダイナミズムを致命的なまでに減失させる十分な威力がある。

この「効率姓」は絶望的なまでに高い。

国家とテロリストとの「戦い」では、原理的に主導権はテロリストにある。「国家」は「テロリスト」の攻撃に対して常に「後手」に回ることを余儀なくされ、たえず「今か今か」とびくびく怯えているしか方途がない。

こうまで原理的に分が悪い「戦い」に突入することにためらわない人間は、いうまでもなく勇者ではない。決定的に愚者である。

テロリストの狙いが「相手を恐怖させ、自滅させる」ことにあるとすれば、「普段通りの生活をすることがテロに負けないことだ」という主張には一理あるが、これは「強がり」に過ぎない。

テロの巷になった街区でふだんどおり気を抜いていれば、いいようになぶられるだけだ。隣に座っていた人間の身体がバラバラに吹き飛んで、なお悠々と足を組んでコーヒーをすすっていられる人間などいない。

いよいよ開いた地獄の釜の蓋の中を覗き込みながら、正気を保っていられる人間などいない。

つまり、テロとは決定的に「戦えない」のだ。これがリアリズムだ。すべての「テロ対策」は、このリアリズムから始めるべきだ。

もっとも、フランスやアメリカにしたところで、本気で「テロと戦う」覚悟があるのかどうかはかなり怪しい。本気でテロと戦う気なら、厖大な犠牲を覚悟でイスラム国と地上戦をするしかなく、今のところは、ただ儀式のように空から爆弾をばらまいて、お茶を濁しているだけのようにも観えるからだ。

ちなみにテロリストは「本気」だ。彼らは「修羅(非日常)感覚」で襲いかかってくる。彼らは掛け値なしに自分の命と敵の命を引き換えにしようとしている。かれらは、相手の人権はもとより、自分に人権があるとすら思っていない。

一方、狙われる側は、娑婆(日常)感覚で、身の安全の確保が第一で、敵に対して、はるか上空から爆弾を落とすことしかしない。たとえ敵国領土で撃墜されても、敵から温かい衣食を提供されることを夢見て、ゆらゆらとパラシュートで降りてくる。この覚悟のギャップは大きい。

とはいえ、アメリカやフランスは、おそらく地上戦を選択しない。それは突入したら最後、確実に泥沼化するからだ。なぜなら、第二次世界大戦以降の戦争で、泥沼化しなかった地上戦などないからだ。

つまり、(何度もいうようだが)いかなる手段にせよ、とにかくテロリストとは「戦えない」のだ。絶対に、まともに戦ってはならないのだ。

こういう状況下に、サイクスピコ協定にもイラク戦争にも、なんの本質的なかかわりを持たなかった日本が「親分がた、あっしにも何やできることはございやせんでしょうか」と「駆け付け」て、しゃしゃり出て、首を突っ込むことが、いかにおっちょこちょいで馬鹿げているか。そんな馬鹿げた行動が「国際貢献」だと本気で信じている人間たちがいる。

かれらはそんなことすら知らないし、知りたくもないと思っている。この白昼夢から覚めるには、東京の真ん中でテロが起きるしかないとすれば、その想像力のなさにつけるクスリはもはや無い。