独裁者のパラドックス

 えらい人がなにかいうと内容の是非はそっちのけにして「とにかくなんかしなくちゃ」とシモジモがあわてふためくさまは、みっともないというかバカバカしいというか、まあ大きな組織にはわりとよくある風景だが。

1億総活躍:緊急対策に批判続出http://mainichi.jp/select/news/20151128k0000m010166000c.html

自分はてっきり「一億総活躍?なんだそれ」的なことになると思っていたが、ここまで政府や役所が方針を真に受けてバタバタ動いているところを見ると、いま安倍氏の権勢は想像以上に盛んらしい。

安倍氏の権勢がさかんな理由は、彼が政治家として絶対的な力を持っているからではなく、「野党に力がない」「与党内に対抗勢力がない」という二つの相対的な状況にある。野党は論ずるに及ばないが、与党は今、「強力な官邸」と「たんなる投票要員としての若手代議士」の二極分化している。

与党(自民党)をひとつの幼稚園として観ると、権勢を振り回す園長と取り巻きの大人たちと、その采配で右往左往する、なんの判断力も持たないし、そもそも判断することが許されていないイノセントな園児たち、という図式になるだろう。

うるさ型の側近や、突き上げてくる中堅層を排除して、大人しく言うことをきく無知無能者だけを大量にはべらせる手法は、歴史的に観て独裁者がその権勢を安定させるためにつねづね採用してきたものだ。

そのもっとも極端なケースが、かつてのポル・ポト政権で、かれらは政治に対する批判力を有する医師や教師などの知識階級を「再教育」という名のもとに根こそぎ強制収容所送りにして虐殺した。

こういう無法なふるまいは、当然ながら国力の低下につながり、国力の低下はいずれ政権の崩壊へと帰結する。ようするにあらゆる「独裁の強化」は「独裁の弱体化」へとつながらざるを得ない。(このありようを個人的に「独裁のパラドックス」と呼んでいる)

安倍晋三ポル・ポトに擬する気はないが(そもそも安倍氏ポル・ポトのような「歴史的人物」になる器量はない)、大なり小なり、「独裁のパラドックス」が作動して、権勢が消沈していくからくりは、ほぼ同じよう現出するだろう。

なんちゃって独裁者の安倍晋三氏が政治的に失脚するのは構わないが、そこまでのプロセスで、日本がどのぐらいの政治的・経済的・安全保障的な「傷」を被るのかが大きな問題だ。それが取り返しがつかないほどになる手前で引き返せればいいと思うのだが。