テロリストとは「戦えない」

「強い衝撃」と「怒り」をあたえたいテロリストの思う壺にはまっている間抜けさに気づかないぐらいだから、日本で同じことが起こったら自分のせいだということにもたぶん気づくまい。

「強い衝撃と怒り」安倍首相がテロを非難
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20151114-00000051-nnn-pol

フランスが一方的に被害者だと思っているむきは、1922年のオスマン帝国の崩壊から今に至るまで、かの国が中東でどういうふるまいをしてきたかを、世界史の教科書でおさらいをしてみるといいと思う。

本気で「テロとの戦い」をするなら、空中から当たり前の爆弾を落としているだけでは間に合わない。空爆が奏功するのは、かつての、そして今の日本のように、大量の人間が都市に集中的に住んでいる国だけだ。

テロと本当に戦うなら、国土草木ごと壊滅させるような核兵器を使うか、地上戦でしらみつぶしにするしかない。

しかし、核兵器は倫理上使えないし、地上戦は突入したら最後、確実に泥沼化して回復不能のダメージを受ける。つまり「テロリストと戦う」手段なんぞは、勇ましいフリが好きな夢想家の妄想の中にしか存在しないのだ。

テロリストとは、断固として「戦えない」。このリアリズムから始めるべきだ。テロリストとは、例えて言えば、リングでグローブを着けて待っているボクシングの選手を観客席からライフルで狙い撃ちする存在だ。どんなマッチョなボクシング選手(国家)でも、原理的に勝ち目はない。

「テロとは戦えない」のならば、「戦わなくてもすむ方法」を考えなくてはならず、そのもっとも効果的な方法は「戦っている陣営には入らない」ことだ。

日本はいまその陣営に片足をつっこんでおり(法制整備)、いずれ両足を突っ込む(自衛隊の後方支援あるいは派兵)ことになる。これがどれほど国民を脅威にさらすか、何百人もの犠牲者がでるまでは理解できないとすれば、なんという想像力の貧困さだろうか。