下重暁子「家族という病」の新聞広告を眺めて

「崩壊した家庭に育ち、家庭生活も破綻させた自分は、幸福な家庭の存在を許すことができない」というルサンチマンをぶちまけた自伝的エッセイであり、普遍的な家族論ではない、と考えた方が当たってそうな本。

お釈迦様は「人生は一切苦だ」といったが、人間は「人生苦」などという抽象的なテーマで悩むような芸当はできない。釈迦にはある具体的な苦悩があったのだ。それが何だったのか今となっては知るすべもないし、あったとしてもそれを詮索しても得るところはない。

重要なのは、釈迦が、個人的な苦しみと悩みのプロセスにおいて、普遍的な苦悩への対処法を見出した、ということだ。ナマの苦痛をナマのまま吐き出したところで、それは語り手のカタルシスとして機能するだけで、普遍的な思想や理念にはならない。

読み物には、一度読めばもうたくさん、というものと何回でも読まれるものの二種類がある。前者になくて後者にあるのは普遍性つまり「思想」だ。エピソードは消費されそれっきりだが、思想は保存され繰り返し味わわれる。

自分には、たとえエッセイやノンフィクションでも、そこに作者が到達した普遍性の頂が見えないと、途端につまらなく感じてしまうクセがある。その段でいうと、この本は、買うはおろか立ち読みする時間も惜しい駄本に分類されることになる。