【仮説】安倍晋三は左翼である

 きのう「平和安全法案」が参議院で可決された。これで自衛隊の方たちは、、思う存分、宗主国たるアメリカ様に命を捧げることができるようになった。

一般国民も、海外ならびに国内で「テロリスト」たちに標的と認められ、スリル満点の日常生活を送ることができるようになった。

この影響は、まず、防衛大学への進学者や、卒業後の任官者や、自衛隊への志願者ががガタ落ちするところに出るだろう。

これまで「自衛隊員」には、給料をもらいながら心身を鍛え資格も取らせてくれるおいしい身分という側面があったが、「海外に飛ばされてそこで死ぬ」ことが現実味を帯びることによって「日本は好きだけど、自分が死んだらモトもコもねえだろ」ということになる。

これから自衛隊に入隊するのは、痴呆的な領域までにゆがんだ愛国者か、自衛隊に入るしか衣食にありつくすべが残されていない人生の敗残者に二分化されるだろう。

いずれにせよ、これからの自衛隊には、マトモな人間はまず集まらない。

自衛隊が「マトモな人がいない日本の味噌っかすの吹きだまり」のような場所になることは、国防上きわめて憂慮すべき状態である。

キワモノではないマトモな人材を、自衛隊という組織に引き込み、つなぎとめる手段は二つしかない。給料その他手当あるいは社会的地位を破格なまでに引きあげるか、法的強制力で徴兵するか、のいずれかである。

前者より後者の方が、格段にてっとりばやく安上がりなのだが、徴兵制に手を染めた政権はもたないだろうから、どんな政権でもここまでは踏み込まない。

となれば、日本の軍事力は、人材枯渇によるなし崩し的な崩壊ルートしか残されていないということになる。

自衛隊の人材枯渇によって日本の軍事力が内部崩壊すれば、集団的自衛権の行使どころではない。同盟国からも「足手まといになるから来ないでくれ」と言われるようになるし、そもそも同盟など組んでもらえなくなるだろう。

ここに至って、日本は真の「戦争をしない(できない)国」になる。法律が縛ろうが縛るまいが関係なく、「能力的に」できない国になるのだ。

我らが首相は、そこまで見越し、日本に真の平和をもたらすために、言い逃れやはぐらかしを駆使し、国民の罵詈雑言に耐えながら、歯を食いしばってがんばった。まことによくやってくれたものだと思うが、

残念ながら、この法制には致命的な欠点がある。「戦争ができない」とは、侵略戦争だけでなく、自衛戦争もできなくなるということであるから、つまりは、敵対国からは攻められ放題になるということで、法制自体が、日本の「存立危機事態」を招来しているのである。

「わが軍」が戦力的にグダグダになれば、いずれ宗主国と仰ぐアメリカ様にも「役立たず」と見放され、どこも同盟を組んでくれなくなる(北朝鮮は組んでくれるかもしれないが)。

まさにこれは左翼の古式ゆかしきスローガンである「非武装中立」理論の具現化にほかならない状況になるだろう。

ようするに安倍晋三の正体とは、実はファンダメンタルな左翼だったのである。