共産主義とIS

地域を限定した「イスラム国」より、世界中にシンパを持つ「過激派組織IS」の方がよほど始末が悪い。

かつて共産主義は「コミンテルン〇〇支部」を世界中に配備し、「世界同時革命」を目論んでいたが、ISが同じことを意識的・無意識的に望んでいるとすれば、こんなに恐ろしいことはない。

虐げられ、疎外された人々の「階級闘争」という意味では、共産主義とISの色彩は似ている。共産主義は頭で考えた理念であり、ISは心で感じた情念である分、後者の方がより普遍性・拡散性があるといえる。

この現況下、「テロとの戦い」に自ら参じながら、「ビザ発給要件を緩和し、インバウンド年間3000万人を目指す」とはどういう了見なんだろう。「それはそれ。これはこれ」ということなんだろうが、人間が頭の中でどう切り分けようが、現実は常に関連し、影響しあっているものだ。

世の中にはISと連合赤軍を混同して眺めている古い人もいるが、かつての左翼とISでは決定的に違うところもある。それは左翼運動は支配者層の「後ろめたさ」から発していたが、ISは抑圧された側の「恨みつらみ」を動力源にしているところだ。いうまでもなく、後者の動機の方が段違いに激烈である。

日本における左翼運動も、一部の大真面目な人を除き、大部分は経済的にも教育的にも恵まれた子息たちのパートタイムのお遊戯のようなものだった。救われるべき「労働者」たちは、実人生との格闘で精いっぱいで、ゲバ棒をかざしてデモでそぞろ歩きをするゆとりなどまるでなかったのである。

かつての左翼運動が知識層による「親がかり」のお遊戯だったのに比べ、ISへの支持は抑圧と差別に苦しむ生活者の情念を基底にしている。「だから彼らに同情し、行動を容認すべき」ということでは勿論ない。敵に回すのなら、とてつもなく手ごわい相手だと覚悟することが必要だということだ。

ながい時間を経て世界中に散らばって根をおろしたこの情念を空爆と地上戦で消滅させることができるとは自分にはとても思えない。もし物理的に排除することができるとすれば「イスラム国」地域に核兵器を投下して無辜の住民もろとも根絶やしにすることだが、そんなことをしたらもはや世界は終末である。

ISは、これまでの世界史の過程で、人類が宿命的に孕んだ奇胎のようなものだ。個人の生活習慣病は、いったん罹患したら最後、生涯折り合いをつけていかなければならない性質のものだが、それに近いかもしれない。もとより、外科手術で一気に取り去ってしまえれば、スッキリするのだろうけれど。

そういえば安倍某氏も、これまでの戦後史の過程で、日本が宿命的に孕んだ奇胎かもしれない。