味噌っかすで生きる

集団的自衛権行使 公明、歯止め明記求める
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015030702000122.html

安倍氏としてはもう公明党は邪魔なだけの存在になりつつある。利用され、捨てられる。政治とは冷酷なものだ。

それにしても「ぶれない政治」「決められる政治」を国民がこぞって求めていた時代が夢のようだ。「ぶれる政治」「決められない政治」こそが民主主義の実態であり、そうあるべき姿であることにやっと気がついたのではないか。もうおそいけど。

安倍氏の暴走を糾弾するのに、左翼のように「戦争の悲惨さ」を持ち出しても意味がない。安倍氏の論理は「たしかに戦争は悲惨です。そして、そういう惨禍から国民の命を守るために集団的自衛権の行使が必要なのです」なのだから。

ようするに「戦争の悲惨さ」を回避するための方法論が、左翼は「非武装中立」であり、安倍氏は「集団的自衛権行使」なのだが、おそらく両方とも間違っている。話はそう両極端であるべきものではない。

日本が採るべき道は、経済的にはともかく政治的には国際社会の戦略的「味噌っかす」になることだ。安倍氏は、国際政治のパワーゲームの正式メンバーに憧れるあまり、「お金も命も捧げますからどうか混ぜてください」と懇願しているようだが、大人の振る舞いを過度に憧憬するのは彼が幼児だからだ。

安倍氏の幼児性は、「愛すべき稚気」なのか、「排すべき愚劣」なのか。