原理主義者というニセモノ

 原理主義者というのはウイスキーの原液のような純粋物だと思い込んでいる人がいるだろうが、実態は逆さまで、その多くの正体は居雑物が横溢するニセモノである。その一例が、武士道原理主義新選組が百姓や商人の寄合いだった事実であり、世界各国からニセモノのイスラム教徒を集めているイスラム国も似たようなものだ。

原理主義者たちは自分たちがニセモノ、あるいは異端であるという(正面から認めたくない)事実に気づいているからこそ、ことさらに内への規律を厳格にし、外へは過激な言動や行動をアピールをするようになる。他者へは「正統」の認証を迫り、自らも欺いているのだ。

新選組において百姓の近藤や土方が歴とした武士である芹沢や伊東を粛清しに実権を掌握してからいよいよ内に外に血の雨を降らせたように、イスラム国においても過激なニセモノが理性的な穏健派を粛清・放逐して実権を握り、内への締めつけと外へのテロ活動にいよいよ過激度を増していく展開になるかもしれない。

現首相も「日本原理主義者」と観ぜられようが、これも他の原理主義者の御多分に漏れず、ほんの基本的な歴史認識すらないニセモノである。

この手の未熟者は、これまではキワモノあるいはイロモノあるいはミセモノとして大人社会の埒外に放置されてきたが、どういう巡り会わせなのか今、日本の政治権力の中枢に居る。これは国民にとってゆゆしき事態、を通り越して「恐ろしい状況」である。

今昔物語にこういう話がある。善澄という名の知識人の家に強盗団が押し入り中を存分に荒らした立ち去りぎわ、縁の下に隠れていた知識人氏が「お前らのような非道な奴らはお上に訴えて捕まえてもらうから覚えていろ」と大声でいった。聞いた強盗団は縁の下から声の主を引っ張り出し、殺した。

さて、今昔物語の編者はこの物語の顛末をどう批評しているか。もちろん「強盗団は極悪非道だ」とか、「断固たる態度で臨み罪を償わせるべき」といった、幼稚なことを言ったのではない。こき下ろしているのは、言わでものことを言い、自らに災いを導いた知識人氏のどうしようもない頭の悪さである。

「善澄、才(ざえ)はめでたかりけれども、つゆ大和魂なかりける者にて、 かかる心幼きことを言ひて死ぬるなりとぞ、聞きと聞く人に言ひそしられけるとなむ、語り伝へたるとや。」

これは「この知識人は、なるほど漢才(古代中国のイデオロギー)は身についていたが、肝腎の大和魂がてんで無かったので、稚拙なふるまいをし殺される破目になったのだと、人々は彼を馬鹿にし、そして教訓にした」という意味である。

編者は知識人氏の「大和魂」のなさを指摘する。日本においていにしえの知識人とは漢文あるいは古代中国文化に通暁した人を指すから、彼には処世上の正義をどんな事態においても貫き通す「漢心(からごころ)」は備わっていた。

しかし、複雑な事態に融通無碍に処して生き延びる、精神の柔軟性を指す「大和魂」は備わっていなかった、だからこんな馬鹿げた目に遭ったのだ、編者はそう批評しているのだ。

複雑な事態をこじ開けるには、それ相応に複雑な形状をしたカギが要る。複雑な鍵穴に、のっぺらぼうの棒きれを一本調子に突っ込んでも、事態が打開されることはあり得ない。大和魂とは、複雑な事態に複雑に対応すること可能にする柔軟で豊かな世間智のことである。

古来日本人は、そういう本物の知恵を重んじ、それを備えた人を尊敬してきたのである。

大和魂」は、源氏物語「少女」帖で初めてその言葉が登場して以来、千年間そういうコンテキストの中で語られてきた。この言葉が「勝算なしに敵陣めがけて突っ込んでいく蛮勇」を意味していたのは、戦争中のほんの短い期間だけである。

大和魂は現実生活の中で柔軟にふるまう成熟した大人の知恵の謂であり、「何が起きようが既成のプリンシプルを貫くだけ」の「漢心」とは対立軸にある思想だ。戦時中はそれが丁度さかさまに誤解されていたのである。(もっともその誤解は多分に恣意的なものであったのだが。)

思えば、イスラム国勃興の主原因のイラク戦争も、ブッシュ氏とその取り巻きのネオコンというキリスト教原理主義者たちが「共同謀議」したものだった。原理主義者とは、なんとはた迷惑な人種であろうか。