存在

 存在感のない人間などいない。自分はそう考えている。尾崎豊のいうように、「存在」とはまさに「いつも認めざるをえないもの」である。だとすれば、自分のような人間にもそれなりの存在感はあると考えていいはずだ。

ここでいう存在感とは、その人が存在することによって、他の誰かの生活や、感情や、場合によっては人生の先行きに影響を及ぼす力のことである。突然だが、自分には生前面識があった自殺者が5人いる。彼ら一人一人と自分とは、必ずしも深い交流を結んでいたわけではなかった。つまり、彼らの人生において自分は終始一貫して端役(おそらくはそれ以下)にすぎなかったわけだが、

そんな自分でも、彼らに自殺を思いとどめさせる何らかの手段を持っていたんじゃないか、そんなことを考えたりする。たとえば、ある人とは自殺をする少し前に会社の階段ですれ違って会釈を交わしていたのだが、その瞬間に自分が何か声をかけていれば、その人が死ぬことはなかったのではないか。

そんなタイミングで気の利いた言葉を言えるほどの智慧が自分にあるかどうかは別にして、自分が人間として根源的に備えている存在感で、死へ向かう彼らの目をどこかに逸らすことは出来なかったのだろうか。

「なにも出来なかった無力な自分」といったたぐいの自責の念のとらわれるわけではない。自分はそれほど思い上がってはいない。でも、何もできなかったはずもないだろう。今さら詮ないことだが、そんな気がしてしかたがない。