インチキとは何か

上は、ビッグサイトで開催中のブックフェアで見た、ある宗教団体のブースの写真である。

さすがに本田選手の生き霊に語らせるのは躊躇したらしく、「守護霊」を呼び出すスタイルをとっている。それでも、知的財産権をはじめとするいろんな個人の権利を侵害している気もするが、ここまで悪びれずにやられると、かえって目くじら立てるのも大人げないと見逃してもらえるのかもしれない。

とはいえ、調子に乗るのも大概にした方がいい時期に差しかかっているような気もする。そろそろあの教団の首根っこをつかんで、「おい、インチキはそのぐらいにしとけ」と、地響きがするようなドスのきいた声で脅しつけてくれる人は出てこないものだろうか。

さて最近、もっと可愛いげのない、もっと醜悪で、もっと稚拙なインチキが、まことに残念なことに国家レベルで行われた。「憲法の解釈の変更」というものだ。そもそも「法律の解釈」という司法の領分を行政が侵している時点ですでにアウトだが、「解釈を変更する」という言い方自体がきわめてインチキ臭い。「解釈の変更」というからには、

「この条文のここの部分はこれまでは○○という意味で解釈されていたが、これからは××と解釈するように変更する」

・・という形式の論理的な表明があってしかるべきだが、それを全くしない。なぜしないのかというと、それをすると、やっていることが「解釈の変更」などでは更々なくて、まごうことなき「条文の空文化」であることがバレてしまうからだ。

期間限定で政権を国民から委任されたのにすぎない時の内閣が、最高法規であるところの憲法の条文を恣意的に破棄することができるということは、「実は日本は法治国家ではありませんでした。いままで騙していてごめんなさい」ということを、国内外に表明したに等しい。

この所業は、国際的(但しアメリカを除く)な信用失墜よりも、自国民にことほどさようなインチキ国に自分たちが住んでいるという不安をかき立てたという意味において深刻である。

この行為が、今後日本の物心にどんな災禍をもたらしても、張本人は「またお腹が痛くなりました」の一言を残して病院に逃げれば済むだろうが(笑い事ではなく、彼なら高い確度で本当にそうするだろう)、あとに残る国民(自衛隊員も国民である)は、たまったものではない。本当におそろしいことである。

今、あの人の首根っこをつかんで「おい、インチキするんじゃねえ」とどやしつけることができるのは、もはや裁判所しかないようだが、「いや、われわれにしても小役人の一人に過ぎないんで、総理には逆らえませんて。テヘへ」といって逃げられるような気がしないでもない。

さて、ところで彼はなぜこのような居丈高な権勢を誇るようになったのか。それは「アベノミクス」と称される経済政策が今のところ一定の成果を見せているからである。つまり、「俺は金を稼いでるんだ。金を稼いでいるやつが一番偉いんだ。文句があるか」といって家族の前でふんぞり返っていた前時代の父権者と同じ状況感覚なのである。

形式的な配偶者こそあれ、実質的に自らの家族を持たない彼の「家父長ごっこ」という一種の代償行為を国政レベルでやられているとしたら、国民にとってこんな迷惑な事態はない。