まだまだ続けてほしい浅田真央

浅田真央が今回のオリンピックで期していたのは、順位ではなく自分が納得するパフォーマンスだった。そのチャンスはショートプログラムとフリーの2回与えられており1回目は逃したが、2回目を見事にものにした。

浅田真央の満足感は「悔しかったバンクーバーオリンピックのリベンジができた」という言葉に現れている。彼女はバンクーバーでは銀メダルをとったが、ショートプログラムとフリーの両方とも、自分が納得できるパフォーマンスではなかったのである。

今大会のフィギアスケート女子は、通常に比べてもとてつもなくレベルが高かった。もし浅田真央ショートプログラムで首尾よく3位ぐらいにつけていたら、金メダルを意識するあまりフリーでしくじって6位以下になったかもしれない。そうなったら、たとえ同じくらいの順位であったとしても、彼女の満足感はまるで違っていただろう。

ショートプログラムでの失敗が「もはや何も失うものはない」という開き直りを生み、それが最高のパフォーマンスを演じる源になった。どん底まで落ち込んだ気持ちを一晩で建て直すのはたいへんだっただろうが、その耐えがたい苦境に直面したからこそ生むことができた爆発力であり、得ることができた歓喜であった。まさに「失敗は成功のもと」である。(ちょっと違うか)

浅田真央が世界最高の女性スケーターであることは、衆目が一致するところだ。(現時点だけでなく、史上最高かもしれない)しかし「最高の選手だから」と黙って金メダルを与えられるわけではなく、定められた時間と場所で持てるポテンシャルを発揮しなければならない。

このスポーツの過酷さは、周りで好きなように騒いでいるだけの外野たちには想像を絶するものがある。そして、この過酷さがあるゆえに選手たちには、底なしの苦しみもその代償としての天井知らずのよろこびも与えられる。