細川氏都知事選出馬に思う

 自分は小泉氏の脱原発思想にはおおむね賛成だが、多くの人が指摘しているようにそれを地方自治体の首長選挙の争点に持ち出すのは的外れだし、都政そっちのけで脱原発にばかりご執心の都知事ってどうなんだと考える。

第一線を退き、晴耕雨読の人生の最終章に入っていた隠遁者が、突如切った張ったの最前線に躍り出て「昔とった杵柄」をふるうといえば、会長に退いていた松下幸之助が会社の経営危機にさいして営業本部長になって陣頭指揮をとったケースがあるが、細川氏の出馬決意にあたっての動機は、おそらくこの類の危機感ではない。

察するに、細川氏は結局のところ敗残政治家として生涯を終える屈辱に耐えられなかったのだろう。いくら山にこもって仙人の真似事にふけったり、ロクロを回して好事家を偽装しても、その屈辱が癒されることはなかったにちがいない。

つまり出馬の真の動機はおそらく公益ではなくプライド、露骨に言えばエゴだ。脱原発もエゴを塗糊するための方便に過ぎない。もっとも政治家とは野心を公益に昇華させる仕事でありエゴを追求することは必ずしも悪いことではないのだが。

それにしても政治とは、あるいは権力を握り他者を睥睨するとは、ある人々にとっては、そこまで魅力のある仕事なのだろうか。こればかりは自分の人生観や価値観と違い過ぎて、まるで見当がつかない境地である。